片目がほぼ見えない“介護福祉士”が経営者に「ケアする人をケアしたい」波瀾人生
必死に働いた先物取引の会社
そんな中、唯一受かったのが、商品先物取引の会社だったという。
「灰皿が飛んでくるようなブラック企業でした。私は営業のポジションだったのですが、小金持ちをターゲットにして、テレアポを1日300~400件くらいかけていました。お客さんが損をする姿を見ることも多くて、3か月で辞めたいと思うようになりましたね。マネーゲームではなく、人の役に立っていることを実感できるような仕事がしたいと思ったんです」
てれたすさんが上司に辞めたいと伝えると「一件契約を取れたら辞めていい」と言われたとのこと。
「辞めたいから必死で働き、大きな契約を1件取り、新人賞をもらいました。上司もそれで認めてくれて退職することができました」
2年間で5万回オムツ交換をした
その後、てれたすさんは「シンプルに人の役に立てる仕事がしたい」と思い、23年ほど前に老人専門病院(療養型医療施設)に勤め始めた。
「月給13万円で介護職員として勤務を始めたのが、福祉医療業界での第一歩でした。2年間で5万回オムツ交換をしました。その後、老人保健施設へ異動し、認知症の方を専門に担当しました。3年の実務経験を経て介護福祉士の資格を取りました。それからもっと介護寄りの仕事がしたいと思い、特別養護老人ホームに転職、介護課長兼ケアマネージャーになりました」
日々、介護業界で働く中で、さまざまな問題点が見えてきたとのこと。
「認知症の人のケアは機械には絶対にできません。介護業界は大変な仕事です。介護スタッフは、ケアだけでも大変なのに、事務まわりでもやらなきゃならないことがたくさんあるんです。そういった部分をラクにし、できるだけ働く人の負担を減らし、実際に“ケアをする時間”を長くするために、自分の施設のIT化に力を入れました。介護ソフトを取り入れたり、エクセルでいろいろ作ったりしました」