安倍氏銃撃から考える、政治家が宗教団体に“お墨付き”を与えることの危うさ
選挙期間中におけるメディアの役割
同時に、事件2日後の7月10日は参院選の投開票日であるという事情があり、そういった意味では国民に対し、政治に関わる情報をきちんと提供することが、この選挙におけるメディアの役割でもあるわけです。
安倍さんは自民党の非常に有力な政治家であり、そして自民党は与党として今回の参議院選挙でも多くの候補を出していた政党です。なので、ここでの言論の出方によって投開票にどんな影響があるのかも考慮していくべきだと思います。
テレビでは、安倍さんが亡くなった後、追悼番組だったり、その業績を振り返っていく内容の番組が放送されることになります。この選挙において、そういった空気が醸成されていく意味は何なのか考える必要はあるなと思いました。
「民主主義への挑戦」という問題設定のズレ
事件当日の街宣活動については、僕は日本共産党・辰巳孝太郎さんと、立憲民主党の辻元清美さんを見ただけです。自民党、公明党、日本維新の会は事件当日の街宣は取りやめていましたが、翌日にはそれぞれ再開します。このときの言論空間は、前日とはバックグランドが違うと思っています。
事件直後だったり、安倍さんの訃報が出る前、そして犯人の動機がわかる前の段階では、どういった言論をその場でおこなうかが大事だと思っていたんですが、ある程度、犯人の動機なども語られてからは「暴力による民主主義への挑戦」という問題設定は的確ではなくなります。
さらに現時点で報道を振り返ると、犯人の家庭内で起こった個人的な恨みを晴らすための行動です。安倍さんが過去に、旧統一教会のある種の宣伝をしていたという意味で、安倍さんにその感情が向けられたという構図が徐々に明らかになってきています。それは民主主義や選挙を妨害しようという意図ではないこともわかってくるわけです。
このときにどういった論点で各候補が話すのか。ただし同時に、安倍さんが亡くなってしまったという重く受け止めなければいけない事態でもあり、事件翌日・投開票前日である9日は、本質的な話を短い時間でどう話すかというすごく難しいタイミングでもあったと思います。