日本エレキテル連合、ブレイク前後の葛藤と尊敬する「爆笑問題」への憧れ
2014年に「ダメよ~、ダメダメ」のネタで大ブレイクし、「新語・流行語大賞」の年間大賞まで受賞した日本エレキテル連合の橋本小雪さん(37、@elekitel_denki)と中野聡子さん(38)。
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白塗りに赤いドレスのダッチワイフ・未亡人朱美ちゃん3号と、彼女を口説き続ける高齢の男性・細貝さんは日本中に強烈なインパクトを与えた。現在は主にYouTubeやライブで唯一無二のコントを披露しており、根強い人気を誇っている。
インタビュー前編では、上京前の下積み時代の話や、尊敬する爆笑問題のお二人とのエピソード、大ブレイク時の葛藤などについて聞いた。
上京前の下積み時代
――2人の出会いは大阪にある松竹芸能の養成所ですが、どうして松竹芸能を選ばれたのですか?
中野聡子(以下、中野):よく言われていることなんですけど、授業料が安くて。
橋本小雪(以下、橋本):私も一緒です。
中野:あと、私の場合は上下関係がユルいんじゃないかな?っていうイメージですね。実際はそんなことなく、ちゃんとされている事務所だったんですけど。
――そこから退所して、上京したきっかけは何だったんですか?
中野:生活が苦しくなって、一度お笑いをやめることになったんです。でも、やっぱりやりたくなって、どうせなら尊敬する先輩がいる事務所に行こうと思い、1年くらいお休みしてから上京しました。休んでいる間は馬車馬のように働いていましたね。
橋本:もう、バイトバイトで……。
バイト漬けでお金を貯める日々
――印象に残っているバイトはありますか?
中野:洗濯のタグの表示通りに洗うお仕事ですね。あとは、流れてくるカップにひたすら豆を250g入れるお仕事とか。1gも間違っちゃいけないんですよ。私は接客業が全くできなかったので、機械的な作業のほうが性に合っていましたね。他には、8時間延々と麺をほぐす仕事もしていました。
橋本:私は両親が経営している民宿と知り合いの民宿を掛け持ちで、一日中働いていました。
――お笑い芸人を目指すことに、ご両親や周りの方は反対しなかったんですか?
中野:両親には言わずにやっていました。松竹芸能さんの養成所には2年間通っていたんですけど、ライブだけでなくテレビにも少し出ていて。でも、さすがに東京に行くときには両親に理由を言わないといけないなと思って、事後報告で伝えました。
最初からお笑いをやると言っていたら反対されていたんですけど、両親は私がニートみたいなことをしていると思っていたので、「だったらもう仕方ない。何かやってくれているほうが良い」って言ってました。