乃木坂46から心理カウンセラーに。適応障害を乗りこえた25歳の今を語る
乃木坂46は自分の歴史に欠かせない
――著書でも、他の方から「最近仕事どう?」と聞かれても「楽しいよ」と答えられず涙した瞬間や、乃木坂46のリハーサルを休んでしまった経験などを明かしていました。日常生活に影響を及ぼすという適応障害。苦しんでいた当時、中元さんはどういった状況だったのでしょうか?
中元:いちばん元気がなかったときは、お風呂場までも遠く感じてしまい「シャワーが面倒くさい」と思ったこともありました。ご飯も、食べたいものが浮かばなくて、食べていないから「頭が回らなくなってきた」と感じることもありました。元気になった今振り返ると、何をするにもエネルギーが必要だったと思います。
リハーサルへ行こうにも玄関で足がすくんで動けず、ズル休みしてしまった経験も書きましたが、当時はそういったものに自分自身も理解がなかったと思います。実際に自分が適応障害になって初めて「ありえるんだ」と感じたし、理解してもらうのが難しいと実感しました。
――適応障害で苦しんだ背景には、表題曲を任される選抜メンバーになれるかなど、乃木坂46ならではの仕組みも関係していたのかと思いました。それでもなお、著書のタイトルに「乃木坂46」のフレーズを使っていますが、今「元・乃木坂46」の肩書きに何を思いますか?
中元:心理カウンセラーになるまでは、不利に働くかなと思っていて。アイドルの時代も本名そのままだったので、別の名義にしたほうがいいのかもと考えていました。でも、カウンセリングを始めてから「乃木坂46を知らないけど、いろいろな経験をされてきたと思いました」と訪ねてくださる方がいたり、アイドルファンの方が「現役時代を知っていたから頼りたくなりました」と、相談に来てくれたことがあったんです。
そうした経験を重ねていくにつれて、思っていたよりネガティブなものではなかったと感じ始めました。心理カウンセラーを目指したのも乃木坂46時代の経験でしたし、自分を説明するために避けては通れないバックグラウンドでもあるので。今は、出身大学を伝えるのと同じように、自分の歴史を語る上で欠かせないものだと考えています。
辞めなければどうなっていたか、考えるけど…
――著書を通して、過去の自分と向き合った今、乃木坂46を離れなければよかったなど後悔はありますか?
中元:ありません。辞めなければどうなっていたかとは考えるけど、グループにいたほうがよかったとは思ったことはありません。ただ、けっして乃木坂46が嫌いになったわけでもなく……。著書の帯文を同期メンバーだったひなちま(樋口日奈)が寄せてくれたのもうれしかったし、グループの繋がりを感じながら「ありがとう」と思いました。
――かつての仲間との絆も変わらず、自分がした決断に対しても悔いはないということですね。
中元:21歳で卒業した当時、素直に「体調が悪いので仕方ない」と辞める決断をしていなければ、心理カウンセラーになっていなかったので。乃木坂46という大きな船から降りることにためらっていたら今の自分はなかったし、次の道へ進んだ自分に対して「よくやったな」と言ってあげたいです。