高良健吾、20代半ばは「満たされなかった」。ようやく見つけた“仕事と生活の折り合い”
仕事と生活に折り合いがつけられなかった
――20代半ばというと、個人的に『横道世之介』(’13)が大好きです。
高良:あの作品の役と現場には、僕自身、すごく救われました。当時、しんどい役が多かったんです。人を殺すとか殺されるとか、レイプするとか自殺するとか。そういうのが10代後半から何年も続いて。まだ自分のことがはっきりしていない年代に、そうした苦しい役ばかりがやってきて、20代半ばで世之介に出会いました。
次第にいい人の役も増えていったけれど、それまでの数年間が蓄積していて苦しくて。20代後半になっても、まだどうやって仕事と自分の生活に折り合いをつければいいのか、分からなかったです。
――そうした役って、役者さんはみなさん。
高良:やりたがりますよね。
――求められているからこそ起きたことですが、自分自身との折り合いがつかず苦しくなり、そこからどう乗り越えていったのですか?
高良:20代前半のときに、もう20代はこれでやろう、30歳まではこれで行こう。そうした役も、いただいたら全部やろうと決めたんです。今振り返ってみれば、いい時間だったと思います。当時は苦しかったですけどね。普段生きていたら感じなくていいことを、自分の問題にして考えすぎていました。
ニュースを見ても、「この人はどうして」と色々考えて突き詰めてしまう。自分で苦しくしていたんです。まあ、そういう仕事ではあるのですが。でも感じなくていいことまで感じすぎていて。ベクトルは違いますが、今回の作品にも、「はっきりさせようとするなよ」というセリフがありますけど、以前はなんでも答えを求めようとしちゃっていたんです。
ある意味、順調に進んでます
――高良さんが役者として通らざるを得なかった時間だったのでしょうか。
高良:僕はそういうやり方しかできなかったから。でもだから向いてないと思ってしまった。
――今はそのころと。
高良:全然違います。20代半ばは、「このままじゃ続けられない」「でもこの仕事はもうちょっとやりたい」と思って揺れていて。今は、自分の問題にしすぎず、だんだん折り合いをつけられるようになりました。昔よりは、いい距離感を保てるようになったんだと思います。それに、劇場前のシーンもそうですが、それこそパッションで行き過ぎると、僕が置いていかれるから。そうすると観る人も置いていってしまう。自分の感情を一緒にしてダダ漏れさせちゃダメだなと気づきました。
――それはダダ漏れの期間があったからこそ。
高良:だからある意味、順調だと思っています。
<取材・文・撮影/望月ふみ>