“YouTuber”の新規参入に暗雲が。プロでなければ成功が難しい理由
甘くてユルいフィールドではなくなってしまった
プロが参入してくる前に地位を築いていた一部は生き残るだろうし、YouTube自体がなくなることはないだろう。しかし、新規参入者が活躍できて、収益化を狙えるような甘くてユルいフィールドではなくなってしまった。
テレビにもプロがいるし、YouTubeにもプロがいる。それでも投稿し続けるのであれば、それこそ「純粋さ」。純粋に情報を発信したいという想いが必要である。それができる人は、もはやプロだ。
インド映画『シークレット・スーパースター』では、主人公インシアが保守的な考えで女性を見下している父親から隠れてYouTubeに投稿するシーンがあったが、やはり収益化を目的としていない。
いつの間にかテレビと同じスタンスに
自己表現をすることが許されない環境の中で、必死にしがみ付いたのがYouTubeであっただけで、決してそこが終着地ではない。これこそが本来の役割だったのではないだろうか……。
前線で活躍するプロの作家を入れて企画した動画、企業がチームを編成し資金をかけて制作した動画、そして専門家の動画、芸能人の動画……。
過激な行動で問題を起こして話題になっても、今ではなかなか広告がつかないため、プロを蹴散らして、プロ以上になる気持ちがなければ、今からの“職業YouTuber”は実質的には不可能である。
自由であったはずなのに、いつの間にか広告と視聴者を獲得するかという点では、完全にテレビと同じスタンスになってしまった。YouTube自体は終わらないとしても、個人が情報発信をする、ひとつの文化としては、終わりつつあるのだろう。
<TEXT/映画ライター バフィー吉川>