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相撲芸人あかつが語る「ナイナイ岡村への憧れ」と「議員秘書時代の教訓」

暮らし

ナイナイ・岡村の弟子になりたくてテレビ局で出待ち

あかつさん

――厳しくも良い先生だったんですね……。大学卒業後にNSCに入ったのは、ナインティナインさんと同じ事務所に入りたいという理由からですか?

あかつ:大学4年の夏休みに、岡村さんに弟子入りしたくて1週間ぐらい各テレビ局で入り待ち出待ちしたんですよ。履歴書と写真と、それから岡村さんに読んでいただきたいお手紙を入れた封筒を持って。何日待ってもお会いできなくて、お金もないから夜はカプセルホテルに泊まったり、局前の芝生で野宿したりです(笑)。それで、ちょうど一週間ぐらい経った頃にスーツを着た40代ぐらいの方が僕に声を掛けてくれたんですよね。「毎日いるけど、何やってるんですか?」って。

 1週間いろんな人に声を掛けましたけど、怪しい人扱いで相手にされなかったからすごく嬉しくて。「大好きな岡村さんに弟子入りしたくて手紙と履歴書を渡したいんです」ってお話したら、「何回かナイナイさんとお仕事したことあるから、マネージャーさんに連絡してあげるよ。今からちょっと仕事だから、目の前のマクドナルドで待ってて」と連絡先を交換してくれて。

 その後、本当に戻ってきて焼き肉屋でご飯食べて、その場でナイナイのマネージャーさんに電話してくれたんです。そしたら、当時のマネージャーさんが「この時期になるとそういう方が多いんですけど、今は養成所があるからそちらに行ってください」っておっしゃって。これ以上しつこくしたら悪い印象与えちゃうなってことでNSCに入ろうと思ったんですよね。

バナナマンを完コピしたコンビ時代

――そんな経緯があったとは! 東京NSC10期生というと、同期にオリエンタルラジオがいます。デビュー間もなくブレークしたコンビですが、どんな思いでその状況を見ていたんですか?

あかつ:当時、「東京NSCは600人ぐらい入ってきて、その中で売れるのは1組いるかいないかだ」って言われてたから、「オリラジが売れたし、オレらの同期ではほかに出ない」って不安もありつつ、「いやいや別に枠が決まってるわけじゃない」って自分を鼓舞しながらネタづくりをしていたって感じですね。

――当時は、養成所の頃からピンでネタをつくっていたんですか?

あかつ:在学中にコンビを組みたい気持ちもあったんですけど、「まずは1人で立つ根性がなかったらダメだろう」って思いが強くてピンでやっていましたね。NSCを出た後は、同期のコンビのところに僕が入って「さんぽ道」っていうトリオで活動していました。ただ、2か月後にツッコミの子が「来年のワールドカップを観たいから、ちょっとバイトに力入れるわ」ってことで抜けて。その後はコンビで2年ぐらい活動してましたかね。

 ネタについてはナイナイさんをイメージするとかはなかったですね(笑)。「どんなネタが自分に合うのかな」って模索していたというか。今振り返れば、バナナマンさんのコントをまるまる完コピしたりもしてましたよ、練習として。まずはお互いが面白いって思うネタを擦り合わせて、このコンビのネタが面白いから「じゃ1回やってみよう」みたいな。好きだから自分たちに合うわけでもないし、そこがお笑いの難しいところですよね。

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