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大反対されたブランドが300億円規模に。アパレル苦境のなか「バロック」代表に聞く闘い方

ビジネス

若者のパッションを巨大ビジネスに昇華

 2000年にEGOISTの森本容子さんプロデュースのもと、アパレルブランド「MOUSSY」が誕生。次いで、2002年には「SLY」、2003年には「BLACK BY MOUSSY」とブランドを広げていき、フェイクデリックHDは4年で100億を売り上げる企業に成長した。

バロック

 駐在中に知人を通し、ギャル系ファッションブランドの快進撃を知ることになった村井氏は「しっかりと会社組織化すれば、将来非常に伸びるビジネスになる」と悟ったそうだ。

「若者の熱い情熱、柔軟な発想。これらに加えて、私がこれまで経験してきた事業運営やビジネスの創り方を合わせれば、もっとスケールの大きいことができる。そう確信し、2006年にフェイクデリックHDへの経営参画を決めたんです」

 そして、2007年には現在のバロックジャパンリミテッドを設立し、本格的にファッションビジネスへと軸足を移すことになったのだ

リーマン・ショックで価値観が二極化

 村井氏がバロックジャパンリミテッドへ参画した当時、日本では服が飛ぶように売れる時代だった。給料やボーナスが出れば、その大半をファッションにつぎ込む。ファッションに対する価値観は、今と全く違う様相を呈していたのである

「ファッションにお金を投資するトレンドは、そう長続きしない」。そう踏んでいた村井氏は、海外のファストファッションの波が確実に日本にもやってくると予感していたという。

 ハイブランドの市場拡大はもとより、欧米諸国ではZARAやH&Mといったファストファッションが台頭し、多くの店舗を構えるようになっていました。これからは確実に『ファッションにこだわりお金を使う派と、そうでない節約思考派』の“二極化”が進む。確実に世の中のファッションに対する価値観や志向は変わると思っていました」

 そんな矢先に起きたのが、米国サブプライムローン問題や翌年のリーマン・ショックだ。当時、ニューヨークにいた村井氏は「経済危機によってもたらされる消費の変化により、新たな層へアプローチできるブランドを創らないといけない」と胸の内を決めたそうだ。

「バロックの基幹ブランドであるMOUSSYは、中間層を主体にして展開してきたブランドでした。しかし、リーマン・ショックの影響で消費に対する価値観が一変し、ファッションにかけるお金の使い方も今までの水準にはもう戻らないと思ったんです

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