『スーマリ』よりも熱かった!?昭和の時代は「ファミコン」で一攫千金が狙えた
昭和を生きたアラフォー世代には当たり前でも、フレッシャーズにとっては驚きの「昭和ゲームの都市伝説(!?)」って意外にありますよね。
週刊誌や専門誌を中心にゲームの紹介・批評を手がけるライターの卯月鮎さんに、そんな昭和ゲームの都市伝説を全4回に分けて紹介してもらいます。今回は第2回。もし、20代で知っていたら、かなりのゲーム通!
株式投資が昭和時代はファミコンでできた?
20代の読者のなかにも、株式投資の経験があるという人は結構いるのではないでしょうか。1998年にネット証券が登場して以降、株トレードがPCで簡単にできるようになりました。
それ以前はというと、証券会社に直接行くか、電話で取引注文するか、家を訪ねてきた営業マンに頼むか……。手数料も1999年の株式売買手数料の完全自由化までどの証券会社でも一律で、少しの利益だと吹き飛ぶくらいの高額でした。
バブル期には日経平均3万8957円の高値をつけましたが、一般庶民で株をひんぱんに売買してバブルの恩恵に預かっている人は意外と少なかったように思います。
さて、ファミコンの周辺機器というと「ディスクシステム」や、マットの上を跳んで走って操作する「ファミリートレーナー」、画面に向かって銃を撃つ「光線銃」などが有名です。
ところが、おもちゃではなく、大人のための本気の周辺機器があったのです。
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