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69歳パン職人、「欅坂46パン屋事件」でも挫けない“仕事へのこだわり”

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東日本大震災という転機、山梨への移転

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 順風満帆とも思える日々を送っていたが、転機となる出来事が起こった。2011年東日本大震災がきっかけとなり引き起こされた福島第一原子力発電所事故だ。「あの原発事故がなければ、恐らく私は今でも東京で働いています」。そう語るほどに、廣瀬さんにとって大きな出来事となった。

「福島第一原子力発電所の放射能で私たち食品加工者が加害者となる可能性が出てきました。私たちがつくるパンを食べたほうが将来的に健康被害にあってしまうかもしれません。その可能性を考えたら、東京でお店を続けることができなくなりました」

 廣瀬さんはリスドォル・ミツでの事業を少しずつ縮小していき、2014年12月を持って完全に閉店。そして、新天地として選んだのが山梨県富士川町だった。

「富士川町で開いたのが、無添加ベーカリー・デッセムでした。富士川町は福島原発から320~330キロ離れていて、空気も綺麗で、南アルプスの水が使い放題。パンを作るには理想的な環境です。縁もゆかりもない場所に来ましたが、地元の方には助けていただいています。家も当然東京より安いです。今は6LDKで6万円、30坪の庭付きですよ(笑)」

70歳を機に現役を引退。今後の人生は

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 パン職人としてはもちろん、生活面においても充実した生活を送っている廣瀬さん。しかし、2021年に満70歳を迎えることを区切りに、無添加ベーカリー・デッセムを引退する予定だ。

引退後は、カンボジア・インドネシア・フィリピンの孤児院をまわることを考えています。パンを作ることを通じて、社会貢献をする予定なんです。私のあとを継ぐのは30代の男性です。パン職人の仕事をする前は電気工事関係の仕事をしていて、パン職人としての知識はない状態で、私のもとに弟子入りしました」

 パン職人としては素人だったが、廣瀬さんの指導の下で約1年の間に仕事の9割以上を任せられるまでに成長した。

「彼にパン作りを教えて3年が経ちましたが、今では普通のパン職人の20年分くらいのパンが作れるようになりました」と語る。

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