69歳パン職人、「欅坂46パン屋事件」でも挫けない“仕事へのこだわり”
山梨県富士川町にある「無添加ベーカリー・デッセム」の店主・廣瀬満雄さん(69歳)は、2020年にネット炎上を経験した。
前回の記事では、テレビ番組『欅って、書けない?』(テレビ東京系列、放送終了)の収録で同店を訪れた欅坂46(当時、現・櫻坂46。以下同じ)の渡辺梨加さんと長沢菜々香さん(2020年3月卒業)のこと。収録中、返事をしない2人を注意して、「返事くらいちゃんとしろ!」「それが社会生活の基本だろ」などと強い言葉を使った理由を聞いた。
しかし、当然のことながら廣瀬さんは欅坂46を叱っただけの人ではない。むしろ、もともとはサラリーマンだったが、1980年頃から無添加のパン作りに情熱を捧げるようになった。だからこそ、欅坂46にもつい声を荒らげてしまったのだ。
その軌跡、そして無添加へのこだわりとは? これを読めば普段、始業前や仕事の合間、何気なく食べているパンの見方が変わるかもしれない――。
無添加パンを普及させるまでの軌跡
無添加のパンを普及させる。廣瀬さんの仕事の原動力には、自身の添加物との衝突の経験がある。
「私は20代後半(1976~1980年)に製パン機械メーカーで働いていました。小麦粉などの粉量でいうと、一度に数百キロも練るということもしばしばありました。そうなると当然、大量の発酵促進剤、乳化剤、防腐剤など食品添加物を扱うことになります」
もちろん、摂取量を守れば、食品添加物の身体への影響はほぼないと考えてよい。しかし、廣瀬さんは短期間に大量の添加物を吸引したことによって身体に異変が生じたという。
「皮肉にも、この時、添加物についてはものすごく詳しくなりました。しかし、身体が添加物に対して拒否反応を示してしまい、約4年間勤務した会社を退社することになります。そして30歳そこそこで、無添加のパンの普及を進めるコンサルタントの仕事はじめ、そのままベーカリー・コンサルタントとして30代から40代半ばまでを過ごしていました」
自分のパン屋をオープンさせることに
廣瀬さんは日本国内に留まらず、台湾や韓国からも声がかかるほどの存在となっていった。コンサルタントとしての仕事が注目された結果として、自分のパン屋をオープンさせることとなった。1995年開業の東京都杉並区の「無添加パン工房リスドォル・ミツ」だ。
「コンサルタントとして顧問先が多くなったことで、私から直接技術を学びたいという人が増えました。その要望に応える格好で実験店としてオープンさせたのがリスドォル・ミツです。実は、私のオヤジはパン屋で、製パン機械メーカーに入る前には修行していたこともあったんです。とはいえ、パン作りに関しては常に衝突していましたが(笑)」
廣瀬さんはリスドォル・ミツを「実験店」と語るが、各種百貨店で催事出店するなどの人気店となる。最盛期には7店舗を展開し、従業員は60人を超えた。この時代に廣瀬さんは多くの弟子を指導、独立に導いた。現在、28人の弟子が廣瀬さんから学んだ無添加パンの技法を活かし、全国での自身の店を切り盛りしている。