宮川大輔、50歳を目前に俳優業に挑むワケ「年いって、人に優しくできないのは嫌」
芸人としてのキャリア観「売れたと思ってない」
――現在第一線で活躍されていますが、先のことを考えたりはしますか?
宮川:今僕、48歳なんですけど、これからのことは考えますね。いつまで体張ってね、ゲロ吐きながらテレビに出られるやろうって(笑)。『すべらない話』はトークですけど、地方に『青空レストラン』で行くとなると毎朝の朝6時起きがしんどくなってきて、これがいつまで続くのかなとか思うこともあります。でも、続く限りはやっていきたいなと。
むかし一度、「(吉本印)天然素材」という名前でみんなでグループでやっていて、3~4年、ワーって言われたんですよ。アイドルですね。その後、一気にアカンようになって、長いことバイトしていましたよ。だから今でも自分が売れたって思っていないというか。もうあと2年で50歳になるんですけど、ここからどうやっていこうかなといろいろ思いますね。
さっき、やるからには本気でやりたいと言ったのは、映画でもお笑いでも同じ。バラエティーしながら3日間空いたので、そこで作品撮るみたいな感じではなくて、その3日間の前に準備期間として3日間休むとか、そういう感じでやってみたい。そうすると両立は無理なんで、そこは話し合いですかね。
――理想の先輩というか、あの人みたいになりたいというあこがれの存在は?
宮川:具体的な人じゃないんですけど、コロナ禍でいろいろと考えました。40歳くらいまでは毎日あくせくしていましたが、50歳超えてからは変えていこうと。家庭もありますし、親の面倒もみてるんで、現実的なこと言うたら働かなアカンけれど、ただ、働き方ですよね。
仕事も一生懸命やるけど、趣味の時間もすごく大事かなと。だから、バツバツに仕事するんじゃなくて、ゆるめるとこゆるめて。まだそういうこと言うには早いですけど、次の60歳に向けて、50台後半くらいからそういうことができればなと。
「年いって、人に優しくできないのは嫌やなぁ」
――コロナ禍で人生観みたいなものが変わりますよね。
宮川:ちょっと考えますよね。笑いが癒しになるというか……自分ができる、自分しかできないことをやりたいなと思いますけど。
だから今、本当にもどかしい。ソーシャルディスタンスは当たり前のことなんですけど、もどかしい。海外のジャングル探検なんて、本当に何が出てくるかわからないから楽しいんですよ。現地の人とのやり取りでもスペイン語でわからんけれど、あきらめずに番組を作っていく。そういう過程を以前のように撮りたいじゃないですか。
――働き方を変えたら、何がしたいですか?
宮川:アウトドアブームなどいろいろありますけど、自分は釣りが好きで。田舎や土、四季、いろんなものを感じながら、自分が癒される場所にいたいですね。そこにできるだけ身を置いたほうがいいなあと。
東京でずっとはりつめていると、イライラしそうじゃないですか。自分に余裕がなければ、人にも優しくできないですよね。自分の好きなことをして、自分が満足してたら、いろんなことで人に優しくなれる。そういうゆとりができそう。年いってきて人に優しくできないのは、嫌やなぁと。