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元U18サッカー代表の29歳が「建築業界のオンリーワン」を目指すワケ

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 3歳からサッカーにいそしみ、サッカーのユースで活躍していた蛯原弘貴さん

蛯原弘貴

蛯原弘貴さん

 だが、希望のプロ入団試験に落ちた直後に、サッカーを断念し、ホテルや住宅、商業施設など、さまざまな空間の企画・設計、運営を手がけるUDS株式会社に入社。建築家の道を歩みます。

 15年間のサッカー人生を卒業し、新たな道へと進んだ蛯原さんの決意や、わずか3年間で設計のイロハを取得したいきさつ、ものづくりの世界で成長していくための秘訣を語ってもらいました。

サッカーを断念して建築家へ。ものづくりに魅了

――元サッカー選手だったそうですが、建築家になったのはなぜですか。

蛯原弘貴(以下、蛯原):3歳からサッカーをやり、中学3年まで福岡のサッカークラブ、アビスパ福岡のジュニアチームに所属していました。その後、親の転勤で埼玉県の浦和へ。

 浦和レッズのユースに入団して、高校3年の終わりにプロ試験にチャレンジしましたが、落ちてしまって。アビスパの試験には合格したのですが、このままサッカーを続けるかどうか悩んだ末、断念して、大学に進学したんです。

――サッカーを断念した理由は何ですか。

蛯原:浦和レッズのプロ試験では、トップで活躍する選手たちと毎日練習したり、試合したりなどして日常的に会話する機会に恵まれました。当時の浦和レッズは全盛期で、小野伸二や闘莉王、長谷部誠など、当時の日本代表の約半分程度を浦和レッズの選手が占めており、とてもレベルが高い選手が集まっていました。

 彼らと一緒に練習しながら、成功できるのは一握りであることを思い知らされ、またプロサッカー選手の平均寿命が24歳ということから、自分にはサッカー以外の別の人生があるのではないかと思ったからです。

――サッカーを断念して、次なるものが建築家ですか。

蛯原:最初から設計を目指したわけではなく、たまたま高校の推薦枠に大学の建築科があったので、進学しました。そしたら大学2年の頃から、設計を学ぶことが楽しくなったんです。ものづくりが楽しくなったというか。

――数ある建築会社の中でUDSを選んだ理由は何ですか。

蛯原:僕はそもそも就活をしなかったんです。大学院を卒業すれば、どこかに就職できるだろうと……でも、甘かったですね。いつまでたってもどこにも就職できない。そこで大学時代から知っていたUDSに電話で売り込んだんです。

 当然、新卒採用の期間は過ぎていたのですが、担当者が興味を持ってくれたのか、「では、バイトから」と採用してくれました。それから1年間のバイトを経て、社員になったんです。

経験値がものをいう世界「何もできないことを痛感」

蛯原弘貴

「アルバイトも社員同様に企画を提案できた」

――ちゃんと就活しなかったのはなぜ?

蛯原:「せんだいデザインリーグ 建築卒業制作日本一決定戦」で第2位になったので、どこかのアトリエ(設計事務所)には入れるかと思っていました。でも見通しが甘かったですね(苦笑)。

――バイトから何年目で正社員に?

蛯原:入社2年目から正社員になりました。バイト時代は下積みの仕事も多かったのですが、社員と同様の責任を求められました。当時UDSはほとんどが中途採用だったので、僕のようなアルバイトで入って社員になるという働き方が珍しかったようです。ただ、アルバイトも社員同様に企画を提案できたのはよかったですね。

――電話で売り込んだということは、UDSにどうしても入社したかったのですね。

蛯原:UDSは設計事務所の中では特殊な存在だと思います。組織設計事務所とも、少人数単位のアトリエとも違う面白さがあります。

 他の設計事務所もそれぞれ特徴がありますが、いずれも建築した施設の運営まではやっていない。企画と設計と運営の3つがひとつになっているのがUDSの特徴ですね。

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