10回忌のS・ジョブズが実践した“考えない瞑想”。1回15分でもOK
10月5日はスティーブ・ジョブズの10回目の命日にあたる。ジョブズは生涯、メディテーション、瞑想に親しんだ人物だった。
コロナ禍で、私たちの暮らしは一変した。極端に人との接触が減り、自宅で過ごすことが多くなった。コロナによる失業者は6万人を超え(厚労省、9月25日時点)、苦しい生活を送っている人も多い。そんな今だからこそ、ジョブズを範にメディテーションに身をゆだねてみようじゃないか。
ジョブズの師・乙川弘文の波乱の生涯を追った『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』(集英社インターナショナル刊)著者、柳田由紀子が記す。
ジョブズが実践したメディテーションとは?
世にはさまざまな流儀のメディテーションが存在するが、ジョブズが生涯にわたり習慣としたのは「坐禅」だった。彼自身は生前、こんな発言を残している。
「ただただ坐って自分を見つめると、心に落ち着きがないことがよくわかる。静めようとするとかえってざわついてしまうのだけれど、時とともに落ち着いて、普段は捉えにくいものが聞こえる余地ができる。その時、直感が花開くんだ」(『スティーブ・ジョブズ』/ウォーター・アイザックソン著/Simon & Schuster刊)
では、ジョブズの坐禅とはどんなものだったのか? 彼が実践したのは、道元(1200〜1253年)由来、曹洞宗の坐禅。というのも、ジョブズには若き無名時代から師と慕った人物がいて、その人が曹洞宗の僧侶だったからだ。
このお坊さん、名を乙川弘文(おとがわこうぶん)という。1938年、新潟生まれ。駒澤大学と京都大学大学院で仏教学を修めた後、曹洞宗大本山、永平寺で修行中の67年に米国に派遣されジョブズと出逢った。弱冠20歳のジョブズは弘文に心酔し、以来、2002年に弘文が逝去するまでの30年にわたり親密な交流が続いた。2人は、同居していた時期もあれば、ジョブズが弘文の里帰りに同行し、新潟の小さな街まで足を運んだこともある。ジョブズの結婚式は禅宗の様式だったが、式師をつとめたのも弘文だった。