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元TBSアナ久保田智子さんが後悔する「女子アナの#Me Too」と、報道のあり方

ビジネス

「広島の人」として戦争を語れなかった

久保田智子

当時の日記や絵をもとに8月6日の足取りをたどる「#ひろしまタイムライン」の活動(NHK提供)

 局アナという立場を離れ、オーラルヒストリーの聞き手として活動する中で、戦争の記憶を伝えることへの考え方も変化した。久保田さんの父親は広島県出身、自身も中高時代を過ごしたが、アナウンサー時代は終戦特番などで「広島の人」として意見を求められることに戸惑いがあったという。

「TBSを退社し、ニューヨークに行ってからオーラルヒストリーと出合い、今はこうして戦争の記憶と向き合っていますが、アナウンサー時代は『広島の人』として原爆や戦争のことを語る資格はないと思っていました。家族に被爆者はいませんし、漠然と戦争は怖いくらいしか意見もありませんでした。下手なことを言ってはいけない、私はそんな立場にないと思っていました」

 当時、先輩アナに「広島出身なのに、なぜ広島のことを語らないのか」と言われたこともあった。今振り返れば、そこに報道が硬直化する原因がなかったかとも感じている。

「原爆のことを『広島の人』が語るという構図は正しいけど、議論をタコツボ化させる原因にもなっている気がします。原爆を体験した本人やその家族が背負っている思いを伝えることは大切です。しかし、広島を語る人が、戦争を語る人が、限られた特別な人だけになってしまうのも違っているように思います

あと5年は今の活動を続けたい

久保田智子

 かつては広島について語ることを無意識に避けていた久保田さん。しかし、今はまったく逆の考え方に至ったという。

「高校生や大学生のお孫さんが、戦争体験者であるおじいちゃん、おばあちゃんに話を聞くことも非常に大切です。プロである必要は全くないんです。私もあと5年、戦後80年までは今の活動を続けたい。戦争の記憶を持つ人がどんどん亡くなっており、今お話を聞いて記録に残さないと永遠に失われてしまいます。『聞き手』をもっと増やさないといけません」

 実はアナウンサー時代から沖縄の報道を通して、自身も「第三者的な視点」の重要性に気づいていたともいう。

「TBSは民放の中でも『戦争の記憶』に特に力を入れています。悲惨な地上戦が行われ、現在も様々な問題が続く沖縄の取材も熱心です。でも、例えば沖縄について深い取材をすればするほど、知らない、わからないという人との溝も生まれてしまいます。思いや熱だけがあればいいのではなく、第三者的な視点が必要であり、その溝を埋めることが重要なのだと思いました。だったら、私が広島のことを語ってもいい、語れるのではないか。それが今、広島で被爆体験伝承者をしている理由のひとつでもあります」

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