「1000円ステーキ」の新定番!?やっぱりステーキ社長に聞く、成功術
高校卒業からアメリカへ、意外なキャリア
――高校を卒業してアメリカに行くというのは、あまり一般的なキャリアではないように思います。
義元:沖縄を出て、本土に行こうとする若者がまず考える行き先は福岡なんです。あるいは大阪、名古屋、そして東京と続きます。自分はそうでなくて海外に行きたかったんです。
なぜそう思ったのか振り返ると、アメリカの空気に触れたかったから。今のような仕事を目標にしていたということでなく、ただ単にアメリカに行きたかった。
高校の進路相談でも「アメリカに行くから大丈夫です」って言っていました。高校の先生も、アメリカの大学や語学学校を紹介できるわけではないので何も言えないですよね。そのまま3分もかからず進路相談は終わりました。
――学校ではどんな生徒でしたか?
義元:真面目でしたね。ちょっとした悪いこともしましたが、まあまあの進学校に通っていましたし、教師も「思いつきの進路」ではないと思ってくれたかもしれません。とにかくアメリカに行ってやろうという気持ちが一番で、それでアメリカに行ったという感じですね。
――日本にはいつ戻って来たのでしょうか。
義元:戻って来たのは2001年。きっかけは9.11の同時多発テロです。住んでいたのはロサンゼルスだったんですが、これは危ないんじゃないかと。在米期間もちょうど10年の節目で、ここで日本に戻るのもいいかもしれないと思いました。日本に戻ってきてからは、先ほどお話したようなさまざまな仕事での下積みして今に至ります。
「子ども食堂」で次世代に夢を与えたい
――やっぱりステーキでは創業した場所の店舗で子ども食堂も行っています。これはどういった理由からでしょうか。
義元:1つ目には当然、企業の社会貢献ですね。子ども食堂だけでなく、全日本プロレスや琉球アスティーダ(卓球プロリーグTリーグに所属)、琉球ゴールデンキングス(バスケットボールB.LEAGUE所属)などのスポーツのスポンサーもしています。
なぜスポーツ支援をしているのかというと、スポーツには子供に夢や希望を与える力があるからです。もちろん子ども食堂もやっていますが、それだけではなく、さまざまなかたちで企業の社会貢献については考えています。
――現在、考えている社会貢献についてはどのようなものがありますか。
義元:孤児院の子たちに何かできないだろうかということを考えています。琉球アスティーダとコラボして、子どもたちに何かしようと話しています。
あとはクリスマスプレゼントを用意しようかということもありますね。進学をしたいときに私たちにできることはないのかということで、奨学金のような制度をつくれないかということも検討中です。