田中圭主演の恋愛映画、今泉力哉監督に聞く「上京前、吉本NSCに通っていた」
そのままでいいという感覚を肯定
――王道じゃなくて、というと。
今泉:物語の作り方として、主人公がすごく葛藤をしたり目的があったりして、映画が終わるときにそれを解決したり成長するみたいな感じってありますよね。『愛がなんだ』も『アイネクライネナハトムジーク』も、ちょっとした変化はあるけれど、主人公が成長するわけじゃない。
成長する物語って、色んな人に勇気を与えるけど、その勇気をもらって頑張ろうとなっても日常うまくいかないこともあるじゃないですか。そうすると、「やっぱりあの物語の人たちは自分とは違ったな」となってしまう。
同じように、辛いけど頑張るとか、一生懸命やるということが美徳とされていたり。それも素晴らしいことだけれど、頑張らなくてもよかったり、そのままを肯定するみたいなことでもいいんじゃないかと。そのままでいいという感覚は、自分自身が努力したくない人間だから(笑)。自己肯定から始まっているんだと思います。
大学の卒業制作で挫折して「吉本」へ
――監督の経歴を拝見していると、NSC(吉本総合芸能学院)に通われていたとの情報があるのですが、本当ですか?
今泉:本当です。(現在は社会人向けコースもあるが)当時は芸人コースしかなかったです。僕はそれより前、大学に入学した時点で映画をやりたくて、芸術系の学部に行ったんです。
それで卒業制作で映画を作ったんですが、先輩や後輩の作っている映画のルックというか、完成度に対して自分の映画がホームビデオのような映画で、「これはひどい、自分は映画監督になれないんだ」という挫折を味わいました。
それで、シナリオは書きたかったけれど、シナリオ学校に行ってもつまらないとなりそうだし、芸人の学校に行ったらネタを書くことになるなと思って。NSCって1年間なんですが、1年で何もなければ普通に辞めればいいし、そこで何かきっかけがあるかもしれないし。
――修行の場として選んだのでしょうか。
今泉:そうですね。あわよくば芸人としての才能があれば(笑)。でも通ってみてやる側は厳しいと思いました。ただ通っていて得るものはあった。数人の放送作家の先生から、「君は物語をやりたいんでしょ?」と言われて。「やっぱり、やりたいんだな」と思って映画に戻れたんです。そのきっかけをもらいました。それで上京して映画学校に行き直した。