バブル漫画『右ダン』作者に聞く、デビュー・創作・交遊録
吉本ばなな、玉置浩二…華麗なる交遊録
――『右ダン』単行本のあとがきに、吉本ばななさんの推奨コメントが掲載されていますよね。当時はまだ彼女が『キッチン』で小説家デビューする前だったと思うんですが、末松先生とはどういう関係だったんでしょう。
末松:吉本ばななは僕のアシスタントだったんです。
――えっ!? そうなんですか?
末松:僕の漫画のファンだというので、アシスタントをやらせていたんですけど、絵が描けないので『右ダン』の原作を10本書いてくれて、そのうちの1本だけ採用して描きました。すごく寝相の悪い女の子が出てくる話です。あれが唯一、吉本ばなな原作ですね。
――4巻に掲載されている第81話ですね。吉本ばななさんはもともとはマンガ家志望だったんでしょうか。
末松:いや、僕のファンだから、というだけで来ましたね。話が面白いので、そばに置いておこう、ということになって(笑)。彼女とは今でも時々連絡を取ってます。
――『右ダン』連載当時、他の漫画家と交流はありましたか? 同じモーニングで『課長島耕作』を連載していた弘兼憲史先生とか。
末広:弘兼さんは一度も会ったことがないですね。モーニングの中で一番仲が良かったのは『クッキングパパ』のうえやまとちさん。今でも九州に帰ると一緒に食べに行ったりします。
――意外です。『右ダン』と『クッキングパパ』って、全てにおいて正反対ですよね。あっちは良きパパで、女遊びしなくて、外車にも乗らず、派手な夜遊びもしません。
末松:でも、実際のうえやまさんは、僕なんかよりすっごく遊んでますよ(笑)。自分でお店を持ってるし、毎日飲み歩いてます。実生活は僕と真逆ですよ。うらやましい限りです。
――連載後期の1989年、バブル景気が最高潮の頃には、『右ダン』は玉置浩二主演で映画化されています。この映画にはどの程度関わっていたんでしょうか。
末松:映画化は漫画のイメージを壊すので無理だと思っていたんです。でも東映さんがどうしても映画にしたいというので、東映さんとうちの編集長で喧嘩になって。編集部としては、映画化するなら本誌では一切宣伝しない、別物としてやってくれ、ということになったんです。だから僕も脚本には一切タッチしなかったんですけど、出演はしています(笑)。出来た映画は、まあやっぱり案の定全然違う作品でしたね(笑)。
――主演の玉置浩二さんはどんな方でした?
末松:すごくフレンドリーで、いつもテンションが高いというか、会うと必ずハグするんですよ。映画のロケで一緒に宮古島に行きましたけど、夜は女性に声をかけたりして。だから映画の中の玉置さんより実際の玉置さんのほうが、原作の一条まさとに近かったです(笑)。
――玉置さん以外であの役をこなせる人を探すのは難しかったでしょうね。
末松:実は玉置さんに決まる前に、主人公役の一般オーディションをやったんですよ。そしたらなんと5000人も集まって。吉本ばななが当時、「自分がいい男だと思っている人が5000人も名乗り出るなんて」と驚いてました(笑)。最後の100人は僕も審査したんですけど、全員が今でいうホストみたいな人で、やっぱり実写は難しいなと思いました(笑)。
次回作は「DCコミックス」からオファー?
――1話完結型だった『右ダン』が、最後の9巻では、世界一高いビルを建てるというプロジェクトを巡るストーリー漫画のような展開になりますよね。あれは連載が終わることが決まったからだったんですか?
末松:実は6巻が出た頃に、僕のほうから「辞めさせてくれ」と言ったんです。もう自分の役目は終わったな、と思って。認知もされたし、影響も与えることができたし、他のことをやりたいと思って。その時に映画化の話があって、いま辞められては困ると言われてしまって、無理やり続けてました。
――なるほど。
末松:9巻のプロジェクトのエピソードは、編集のほうから出たアイディアです。だからいまだに8巻、9巻というのは自分で納得がいってないですね。正直、6巻目くらいまでが『右ダン』だと思ってます。
――個人的には、世界一のビルを建てようという発想は極めてバブルっぽくて、右肩上がりの頂点を目指して連載が終わったのは、バブル崩壊ともシンクロして美しい終わり方だったと思います。
末松:自分としては、あの辺が限界でしたね。毎回違う話を176話も描いたので、最後はもうネタがなかなか出なかったですから。
――サラリーマンのイメージを刷新したい、という目的は達成できたという実感はありましたか?
末松:4巻目、5巻目のときに、いろんな記事とかファンレターを読んで、サラリーマンが変わったてきたというのを実感したというか、生意気ですけど、世の中ちょっとだけ動かしてるなというのは身をもって感じましたね。
――サラリーマン経験が全くないフリーターだったのに、最先端のサラリーマンの生活を描いて、それで影響力を持ったという、面白い現象ですよね。『右ダン』連載終了後は、いろんなオファーがあったのでは。
末松:これはあんまり言ってないんですけど、実はDCコミックスから誘われたことがあって……。
――ええっ?
末松:バットマンを描いてくれ、という依頼で。バットマンの映画に出ていたジャック・ニコルソンが、どういうわけか僕の『右ダン』の絵が好きだった、という噂を当時聞きました。
――本国から英語で直接オファーが来たということですか?
末松:そうそう。編集長もぶっ飛んじゃって。それで下絵をいくつか描いて本国に送って、OKがとれたんですけど、連載をするためにアメリカに定住してください、という条件があったんです。今みたいにネットで原稿をすぐ送れるという時代じゃなかったので。
――すごく夢のある話ですね!
末松:今考えるとね。でもやっぱり、自分もそこまで度胸が無かったし、断ったんです。
――もしアメリカに移住してバットマンを描いていたら、また全然違った人生になっていたんでしょうね。
末松:そのかわり、1994年に『エイトマン』を描いたんです。桑田次郎さんの、モノクロのシャープなタッチが好きだったので、モノトーンだけで描かせてくれということで描かせてもらいました。