オリンピック輸送を2度も行った「日比谷線第1世代」の意外な今
東京メトロ日比谷線の車両は、開業から今日まで、3000系、03系、13000系の順に登場。特に3000系は1994年7月23日限りで引退したが、現在も譲渡先の長野電鉄で活躍が続いている。
営団地下鉄初の無塗装車両
3000系は営団地下鉄時代の1961年に2両編成で登場。日本で初めて保安装置にATC(Automatic Train Control:自動列車制御装置。開業当初は信号機つき)が採用されたほか、1962年には運輸省(現・国土交通省)の補助金を得て、ATO(Automatic Train Operation:自動列車運転装置)試験を実施。その後、2編成でATOを使用した営業運転に就き、“歴史的な車両”となった。
エクステリアは営団地下鉄初のステンレス車体で、前面のフロントガラスは貫通扉を除き、曲面ガラスを採用した。これが“日比谷線車両の伝統”となり、後釜の03系、13000系に受け継がれている。
1962年に東武鉄道伊勢崎線、1964年に東京急行電鉄(以下、東急)東横線との相互直通運転をそれぞれ開始し、都心へのダイレクトルートを形成した(東横線との相互直通運転は2013年で打ち切り)。特に前者は沿線の宅地開発が進み、人口が飛躍的に増加した。相互直通運転開始時は4両編成だったが、順次増結され、最終的に8両編成まで延びた。
また、1964年10月10~24日に開催された東京オリンピックでは、アクセス輸送の任に着き、“TOKYOの足”として、他線ともども大いに貢献した。その後、3000系は塗装やカラーテープを施されていないことが幸いしたのか、のちに日比谷線のラインカラーはシルバーに決まった。
1970年代に入ると、相互直通先では通勤形電車の冷房化が徐々に進められていくなか、3000系は非冷房のまま(他社線の日比谷線直通車両も非冷房)。また、保安装置も東武鉄道のみ直通対応、東急のみ直通対応、両社の直通に対応という煩雑な車両になっていた。
03系の登場で3000系の廃車が進む
1988年、日比谷線輸送力増強の一環として、03系が登場。3000系に比べ、冷房つき、保安装置も両社の直通に対応できるなど、サービス面とハード面が改善された。また、同年は両社の日比谷線直通車両にも冷房つきの新型車両が登場し、快適性が増す。
1989年から03系の増備と3000系の廃車が進み、6年で世代交代が完了。日比谷線は全列車冷房つき車両に統一された。