オスカー俳優が映画化を熱望。社会のタブーに挑戦した漫画家の実話とは
2015年にフランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」の編集長や、風刺漫画家などがイスラム過激派テロリストに襲撃されて、12人もの死傷者を出した事件を覚えている人もいるだろう。
言葉を必要としない風刺漫画は、社会階級や言葉の垣根を越えて人々の心に響くからこそ、ポップカルチャーとして欧米では大きな役割を果たしている。しかし、1960年代以降、グラフィックや写真制作の簡素化やニュースのスピード化で風刺漫画を掲載する新聞紙は激減しているという。
1980年代初頭から亡くなるまでの2010年まで、オレゴン州ポートランドで活躍した実在の風刺漫画家、ジョン・キャラハンの自伝を映画化した作品『ドント・ウォーリー』が5月3日に公開される。監督は『マラノーチェ』(1986)でデビューして以来、『ドラッグストア・カウボーイ』(1989)、『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)、『エレファント』(2003)や『ミルク』(2008)など、社会のアウトサイダーを優しい目線で繊細に描いてきたガス・ヴァン・サント。
「コメディは、ホラーに対抗できる大切な武器だ。だからこそ、死をも吹き飛ばせる」と語ったキャラハンと同じポートランドに住んでいた監督に、キャラハンや映画作りについて話を聞いた。
社会のタブーを破ったジョン・キャラハン
――ジョン・キャラハンは風刺漫画界でどのような立ち位置だったのでしょうか?
ガス・ヴァン・サント監督(以下、ヴァン・サント監督):漫画好きの人なら、誰でもジョン・キャラハンを知っていましたが、『アダムス・ファミリー』の著者チャールズ・アダムズや『ザ・シンプソンズ』のマット・グレイニングスほど有名ではなかったですね。
マットとジョンは、地元がポートランドなのでお互いを知っていて、マットが自分のエージェンシーにジョンを紹介したそうです。そして、ジョンは障がい者をモチーフにしたジョークを展開して注目を集め、人気を得ました。ある意味、社会の弱者をジョークにするというタブーをおかしたんです。
――20年以上も前に、ジョン・キャラハン、ロビン・ウィリアムズ(2014年没)とヴァン・サント監督の3人が一緒にこのプロジェクトを始めたと聞きましたが、映画を作るにあたり、それぞれから「この話は入れてほしい」といった希望はありましたか?
ヴァン・サント監督:ロビンとは正直そこまで話したことはなかったんです。彼は、私の監督作『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997)でオスカーを受賞した後、超多忙になっていたので、このプロジェクトについて直接話す機会はなかった。
しかし、プロデューサーで彼の妻であるマーシャから話があり、ジョンの自伝を読みました。それでジョンの映画を作りたくなり、早速、脚本を書いてロビンに送りましたが、紆余曲折あり、2年半後にほかのライターを雇って2本目の脚本を仕上げました。ロビンが非常に忙しかったので、企画は遅々として進まず、その間にジョン・キャラハンと仲良くなり、彼からいろいろな話を聞きました。
結局、ロビンが亡くなってしまい、企画は中断しましたが、ホアキン・フェニックスを主演に迎えて、企画が再始動したんです。ジョンから「これは入れてほしい」という要望はなかったんですが、彼が通っていたAAミーティング(禁酒会)の主催者のドニーについてよく話していたので、ついに映画化されるあかつきには、ドニーや禁酒会のメンバーを中心に私が脚本を書きました。
――ジョンは自分の伝記映画ができることを楽しみにしていましたか?
ヴァン・サント監督:ロビン、ジョン、私の3人のなかでジョンが一番楽しみにしていたと思いますよ。自伝が映画になる……しかも、ロビン・ウィリアムズが自分を演じてくれるなんて、最高にエキサイティングじゃないですか。ただ、映画化まで長い時間がかかっていたことはジョンにとっては拷問でしたね。彼はよく「これが映画化されるまでに、きっとオレは死んじゃってるな~」なんてよく文句を言っていました(笑)。