誰もが依存症になるリスクを抱えている。ソーシャルワーカーに聞く治療法
沖縄のホームレスたちと1週間生活
――今のお仕事に通じる経験をするわけですね。無一文の状態からどのように資金を集めて帰られたのですか。
斉藤:それから1週間くらいホームレスのコミュニティで暮らすことになりました。彼らに教わりシケモク(タバコの吸い殻)を拾ったり、賞味期限が切れたコンビニのパンやおにぎりを食べたりしていましたね。ただ、このままだと親に申し訳ない気持ちもありました。ある日の早朝、黙ってコミュニティを抜けることにしました。
それから海岸沿いに歩きながら夜は民家を訪ねて泊めてもらえるように交渉するんですけど、そのときにホームレスに話したときと同様、必ず身の上話をするんですよね。事情を解ってもらった上で一晩泊めてもらうということを何度も繰り返しました。
――そこで他人との交渉術を身につけたのかもしれませんね。
斉藤:なかには家業を営む家もあったので、仕事を手伝うことで報酬をもらいました。そうやって帰るための資金をコツコツと集めていったんです。
沖縄の経験で学んだのは、自分の弱さをオープンにすることで人と繋がれるということ。それまで私はずっと体育会系の気合いと根性の世界にいたから自分の弱さを他人に見せることができなかったんですね。あと自分の居場所は自分で作ること。生きるために働くことですね。
就職先でアルコール依存症と向き合う
――その後、大学で社会福祉士と卒業後専門コースに入り直し精神保健福祉士の資格を習得して榎本クリニックに就職されたということですね。
斉藤:最初の配属先はアルコール依存症専門のフロアでした。そこで多くのアルコール依存症の方々と関わるなかで、沖縄で最初に話を聞いてくれたホームレスもアルコール依存症だったことに気づきました。あの目の色(黄疸)や匂い、酒の飲み方など、正真正銘のアルコール依存症でした。
彼らのコミュニティにいた頃を振り返ると、いつもどこからともなくお酒を持ち寄って、飲みながら「酒のせいで何もかも失った」とか、「ギャンブルにハマって自己破産した」とか、「シャブがずっとやめられなかった」みたいにみんなが口を揃えて言っていたのを覚えています。
何かしらの依存症が原因でホームレスになった。そう考えると、沖縄での経験はソーシャルワーカーという仕事に就くだけでなく、依存症の実態に触れる最初の機会だったことになります。