元楽天・一場靖弘が語る、ドラフト裏金事件を経て歩む「第三の人生」
「まもなく生徒が来るんでね。準備しているんですよ」。千葉県松戸市、市街地から少し離れた場所にある小さな練習用グラウンド。炎天下で黙々とトンボを掛けて地面をならし、水を撒く男がいた。2004年から’12年まで楽天イーグルス、ヤクルトスワローズで投手としてプレーした一場靖弘さん(38歳)だ。
現在は子供たちに野球を教えている
プロとしての経歴よりも、かつて球界を震撼させた“一場事件”の当事者と言った方が分かりやすいかもしれない。
引退後は外資系保険会社などに勤務。しかし、’19年に不動産ローンの負債がかさみ、会社をやめて自己破産をした。そこから心機一転、今年4月に自らが塾長を務める「一場靖弘ベースボールアカデミー」を開校し、子供たちに野球を指導し始めた。
「アカデミーは僕がオーナーではありません。レッドストロングス松戸という少年野球チームを立ち上げた方に、『チームのコーチだけでなく、アカデミーもやってみないか』と声を掛けてもらいました。
これまで何度もどん底に落ちて、心が折れかけました。でも、ありがたいことに僕を応援してくれる人たちがいます。彼らのおかげで、もう1回チャンスをもらえました。感謝の気持ちしかありません」
苦節を乗り越え、セカンドキャリアならぬ第三の人生を歩み出すまでに何があったのか。
引退時にはもう投げられない身体に
1982年生まれ、群馬県出身。桐生第一高校2年生時の’99年には甲子園優勝を経験し、明治大学に進学。六大学野球では戦後最多となるシーズン107奪三振を記録し、鳴り物入りでプロの世界に入るはずだった。
しかし、ドラフトを控えた大学4年生の’04年に、読売ジャイアンツをはじめとする複数の球団が学生野球憲章に違反して、“栄養費”などの名目で彼に総額300万円もの現金を渡していたことが判明。
事件の影響でドラフト指名は絶望的と思われたが、この年に新たに設立され、即戦力を求める楽天から自由獲得枠で指名された。’09年にはトレードでヤクルトに移籍したが、思うような結果を残せず、’12年に戦力外通告を受けた。
「実はプロ2年目から肩を壊していたんです。手術をする選択肢もありましたが、リハビリ中にクビを切られてしまうのが怖くて、注射を打ってごまかしながら投げていました。30歳で引退しましたが、最後は肩だけでなく股関節も痛めて満身創痍でした。正直に言うと、痛すぎてもう投げられない状態でした」