カナダの注目女優が語る、若者が自分を見失う理由「目標は見つけるものではない」
終身雇用も終焉を向かえ、ライフスタイルが多様化している「個の時代」は、“個人主義”や“個人的成功”に重きが置かれている。
そんな現代の価値観に対して疑問を投げかける映画『さよなら、退屈なレオニー』(6月15日公開)は、カナダ・ケベック州の田舎町に住む17歳の少女レオニーが、ひょんなことで出会った中年男スティーヴとの交流から、自分自身を発見していく成長物語だ。
一見、ノスタルジックな映像を背景に描いた美しい青春映画のようだが、実はケベック州の労働運動、ポピュリズム、親子の関係、個人主義などを鋭く映し出し、昨年2018年のトロント国際映画祭では最優秀賞カナダ長編映画賞を受賞した話題作である。
主演女優のカレル・トレンブレイは、昨年の東京国際映画祭でジェムストーン賞を受賞。繊細な抑えた演技で、ティーンの退屈と怒りを情感たっぷりに演じた彼女に、スカイプインタビューを行い、現代の若者が抱える社会的プレッシャーや映画の見所について話してもらった。
プレッシャーにはひとりで向き合うしかない
――主演のカレルさんの存在感があってこその本作だと思うのですが、主演が決まったときに、どのように感じましたか?
カレル・トレンブレイ(以下、カレル):べテラン俳優に挟まれて自分が主役を演じると決まり、正直、「私には荷が重いかも」「大丈夫かな」という不安やプレッシャーを感じました。でも、「監督は、私にできると思ったんだから選んでくれたんだ」と信じ、チャレンジと捉えるように努めましたね。
実際に撮影が始まると、心配している暇はなく、「やるしかない」という感じだったのですが(笑)。
――そういったプレッシャーはどのように乗り越えたのですか?
カレル:仕事上のプレッシャーはやはり、1人で乗り越えるものだと思います。とにかく、毎日一歩ずつ進めるようにしました。撮影が進むにつれ、監督、撮影監督、プロデューサーを始め、スタッフの全員と信頼関係が生まれていったことは大きな励ましになりましたね。
映画のタイトルは「蛍はいなくなった(原題)」
――本作は、少女の成長物語、ファミリードラマ、あるいは社会派映画とも、様々に解釈できると思うのですが、カレルさんはこの作品をどのように捉えていますか?
カレル:この映画は、自分を見失っている女の子が、自分自身を発見していく心の旅を描いた作品です。
映画のタイトルは「蛍はいなくなった(原題)」。光の下では見えない蛍、暗い場所だからこそ見える蛍――。この「蛍」は社会的なメタファーであり、現代社会において“陽のあたる”ところでは“見えない人々”、つまり、弱い光しか発せない人々に、私たちの目はなぜか向かない……。こんなことを問いかけている物語でもあります。