SHIBUYA109リニューアルの仕掛け人が語る、苦難を乗り越えた“精神力”
平成を象徴する渋谷のランドマークタワー「SHIBUYA109」で大型リニューアルが着工されています
前回の記事では、その環境部分のクリエイティブ・ディレクターに就任したアートディレクターの五十嵐LINDA渉さんに「これからの日本のカワイイ」について話を聞きました。
後編では、アメリカと日本とのクォーターとして生まれ、これまでたくさんの苦難を乗り越え、現在に至った生い立ちについて伺いました。
クォーターとLGBTでいじめを受けた
――LGBTをはっきり意識したのはいつのことだったんですか?
五十嵐LINDA渉(以下、五十嵐):兆候は幼少の頃からあったみたいですけど、中学校の頃にはっきりと自分で認識しました。「かっこいいなぁ」と憧れた男性の先輩に対して好意を抱いていましたが、それもいじめのきっかけになっていたんでしょうけど……。
――いじめを感じたはいつ頃のことでしたか?
五十嵐:小中学校の頃は、クォーターという外見のことでいじめを受けていました。でも、もうその時の記憶って、そんなに覚えていないです。
いじめを受けた時に私が逃げ込むのって、保健室じゃなくて美術室だったんですけど、デザイナーだった母の影響で絵を書くのが本当に好きだったんです。だから、いじめを受けても誰かに合わせたりはしなかったし、不登校にもなったこともありません。
母のおかげで「自分の性」を語れた
――いじめはそれからどうなりましたか?
五十嵐:私、絵を描きながらめちゃめちゃ大きいヘッドホンでヒップホップを聴いていたんです。その頃は私以外、周囲の誰も聴いていないジャンルだったんですが、そのうち地元にヒップホップブームが訪れて、みんなが私に「ヒップホップかっこいいな」「お前が聴いてる音楽教えてよ」って質問しに来るようになりました。そしたら、いつの間にか、いじめはなくなっていましたね(笑)。
――芯の強さを感じますね。そこまで自分らしさを持てたのは、なんでだったと思いますか?
五十嵐:それも母のおかげだと思います。私がアートに興味を持てたのは母の教育のおかげだし、LGBTだとカミングアウトした時も、とても自然に私のことを受け入れてくれました。
母がそうしてくれたから、私は周囲の友人たちにも自然に、自分の性のことを伝えることができました。今考えたら、本当に人に恵まれて、ここまでやってこれたんです。