「9割の議員は将棋の駒のように秘書を使う」元秘書が語る過酷な体験
Aさんを「3つの感覚」から分析すると
Aさんは、議員秘書になって4、5年が経過したころに、この仕事は一生やる仕事ではないと感じたそうです。その理由として、議員の考え方ひとつで自分の仕事内容が決まってしまう、つまり自分でコントロールできないことを挙げています。
「人間として器の大きい議員であれば、秘書の持ち味を活かしてくれようとするので、秘書もそれに応えて自分の専門性や能力を活かすことができる。でも、そんなことを考えない議員の秘書になれば、本当に毎日苦痛でしかないことになってしまう。
そして、9割の議員は秘書の能力を活かすことなど考えず、ただ将棋の駒のように秘書を使うだけ。たまたま優れた議員につけたとしても、その議員もいつかは落選してしまうし、引退してしまうのだから、一生の仕事とするのは本当に難しいと思う」
議員の落選による失職や突然解雇の可能性があるうえ、秘書として仕える議員しだいで自分に求められる仕事が変わってしまうという状況を、首尾一貫感覚の観点から見ると、明らかに「把握可能感」が得にくい仕事であることがわかります。
10年後には違う景色が見えるかもしれない
それでもAさんは、議員秘書への転身から15年以上経った今、何かを得たという感覚があると語ってくれました。このことは、Aさんの把握可能感の高さを示唆しています。
もともとAさんは、今までの職業においても10年を目安としたキャリアビジョンがありました。
それは、「どんな仕事も10年経って初めてその仕事を理解できる」という感覚であり(これは把握可能感につながります)、この感覚があることで、議員秘書に就いて4、5年経って「これは一生の仕事ではない」と感じても、10年後には違う景色が見えるかもしれないと捉え方を変えているのです。
また、Aさんは仕事についてのもう1つの持論として、「1つの分野でこれだけは誰にも負けないというものがあれば、次の職場、次の議員事務所は必ず見つかるはずだし、違う世界に入ったとしても、それは絶対に役立つと思う」と述べています。この言葉からは「なんとかなる」「やっていける」という「処理可能感」の高さがうかがえます。