接待での失敗に学んだ夜…ギンギラギンで“さり気なくなかった”役員<常見陽平>
さすがに営業はむいていないと認定されたのか、営業企画の仕事に移ったのだが、ここでもミスを連発。数千部刷ったあとにパンフレットの誤植発見など、やらかしまくった。
営業企画の仕事は、営業マンにいかに気持ちよく売ってもらうかがポイントである。事業部全体に成功事例を紹介するメールを送ったりするのだが、その際に「お客さんは、悦んでます!」とまるで、精力剤か媚薬のような誤植をしてしまい、猛クレーム。「よろしく」をナチュラルに「夜露死苦」と書いて、物議を醸したこともあった。
「トップ営業マンが無理なら、トップレス営業マンで行け!」と言われ、宴会芸をやらされた。
それなりに笑いは取れたのだが、キワキワすぎる芸風で、先輩が青ざめることがあった。「江頭2:50のマネをしろ!」と言われ、営業の途中に黒いタイツと布袋寅泰の『スリル』を買いに行ったのは忘れられない。
しかし、肝心の三点倒立を練習する時間が乏しかった。立食パーティで披露したのだが、倒れて、ビーフ・ストロガノフを載せたテーブルをひっくり返しそうになり、私も皆もびっくりした。こういうふうに、何もウリのない、失敗だらけの日々が続いていった。それが私の20代だ。
キャバクラ接待で、顧客に圧倒される
社会人2年目の時、「お前は札幌出身だろ? 北海道の顧客はお前がやれ」と言われ、大手を中心に北海道の全顧客を担当することになった。毎月、会社のカネで帰省できて役得とはこういうものかと実感した。もっとも、北海道拓殖銀行が破綻したばかりだったので、顧客訪問しても暗い話の連続だったが。
ただ、厄介な案件もあった。先輩から引き継いだVIP顧客は、私が挨拶に行く前に競合他社にサービスの乗り換えを決定していた。その奪還が私にとって最重要ミッションだった。「お前の責任だ!」と上司や先輩には言われた。
社会の厳しさを学んだ。毎月、通い、さまざまな提案をしたが、ちょうど20年前の夏、上司と一緒に担当者をすすきので接待することになった。普通に食事をしようと思っていたが、私の上司が「常見、2軒目はキャバクラに連れて行くぞ」と言われた。
「は、はい!」私は上司の指示に従い、コンビニにキャバクラ・風俗ガイド雑誌を買いに行った。「いざ、キャバクラ!」という時がやってきた。カフェで一生懸命、キャバクラを探した。
会食は、顧客の本音も聞くことができ、有意義だった。上司が「2軒目もどうですか。キャバクラのほうは?」と言った。「どこ?」と言われ、「バドガールが出てくるお店です。常見が雑誌で調べました」と答える上司。
すると、先方は一枚ウワテだった。「あそこは、面白くないよ。僕の行きつけのところに行こう」と言われたのだった。その店は、キャバクラというよりはクラブに近かった。先方は会話が洗練されていて、遊びなれしていた。しかも、お金は先方持ちだった。