銃撃の責任は「アベ批判派の悪口」に?権力者へのスタンスを考える
早く情報を得ることに価値を置く危うさ
さらに、百田尚樹さん・山口敬之さんという、もともと安倍さんに近いところにいることを普段からアピールされていた人たちが、公式発表がないタイミングで安倍さんが亡くなったという発信をしました(※編集部注:その後、両氏とも「気が動転していた」「完全な誤報でした」と謝罪)。
これには驚いたのですが、この件に限らず、ニュースが速報主義に陥っていて、何か事件が起きるととにかく早く情報を伝える、あるいは早く情報を得た人に価値があるという心理状態にマスコミも含めて多くの人が陥ってしまう。
医療現場での懸命な処置も含め、物事はリアルタイムで進行していきます。1秒でも早く何かを知ることで、事態が変わることはないと思うんです。もちろん、こうしたショッキングな事件が起こったときに「何が起こったのか知りたい」という心理はみんなあると思います。
でも、ここはオフィシャルな情報を待ってもいいタイミング、ゆっくりと考えるべきタイミングではないかなと感じました。ここでも“わからない”とどう向き合うかがポイントです。公式発表がある前に、亡くなったと発信することは、どういうことなのか? 自分と安倍さんとの距離の近さをアピールするということが、プラスになるという心理。それを誰よりも早く知ることに何かしら価値を置く心理っていうのは、非常に危ういなと思いました。
「アベ批判派」への責任追及も
また同時に、犯人の動機が語られていないにもかかわらず、特に安倍さんに批判的だった人たちへの責任追及が起こり始めます。批判や批評がこういう事件に繋がるんだというロジックが、言論空間に登場してくることがリアルタイムで見られました。
安倍さんはすごく人気のある政治家だったので、安倍さんを支持している人たち、安倍さんが好きな人たちが動揺し、ショック状態に陥ることは非常に理解できます。そういうときの発言は、あとから考えたら冷静さを欠いているものだったりすることも多々あると思います。
これからは、そうしたショック状態でおこなわれた発言への糾弾も起きてくるでしょう。安倍さんを支持していたり、好きだった人が、心的に大きな負担を受けてしまうということも、すごく想像できます。