銃撃の責任は「アベ批判派の悪口」に?権力者へのスタンスを考える
権力者に対しては批判的であるべき
僕はそもそも権力者というもの全般に対して、批判的であるべきだというスタンスです。これは誰が権力者であろうと、民主主義国家で報道の自由がある程度、担保されているという条件のなかでは、やはり選んだ行政、相手については、僕らが批判的にチェックをすることが民主主義の基本だと思っているからです。
安倍さんについても、7年8か月の長期政権を支えた日本の権力者でもあったという意味で、常にそういった視点で見ています。とはいえ、つい先日、目の前でしゃべっていた人という印象も持っていたわけです。
事件当初、NHKでも繰り返し銃撃のシーンが報道されていました。犯人の動機や人数、規模といった情報はわかっていませんでしたが、犯人は警察がすぐに確保したという情報も出ました。
現行犯なので、容疑者であり実行犯であることは間違いないのですが、なぜこの人がそうした凶行に及んだのかもわかりませんし、当然、司法手続きに基づく判決などは行われていません。「安倍さんは心肺停止の状態で救急搬送された」と伝えられていたので、その後の容体がどうなっていくのかもわかりません。
事件後、誰がどのタイミングで何を言うか
これは大事なことだと思いますが、権力者であろうと、誰であろうと「批判的に言った相手が、悲劇的な状態で亡くなってもいい」という意味合いで批判している人はほとんどいないと僕は思っています。
なので、多くの人がこのニュースを目にしたときに、無事を祈り、回復を祈り、そして一命を取り留めてほしいと思った。これは、人の感情としては自然なことだと思います。
しかし、ここからネット空間などでさまざまな言葉が飛び交うようになります。僕はこの時点で「誰が、どういうタイミングで、何を言うのか」は非常に本質的なことであると感じていました。