予想以上に多い「文章を読めない人」。それでも伝わる文章を書くには
読み手を考えない「長すぎる文章」が増えた理由
文章のデジタル化、ネット化により、掲載スペースの制限が事実上なくなり、「長すぎる文章」がたくさん生まれるようになりました。それに比例するかたちで、読まれない文章の量も増えています。たとえば、あなたが猛スピードでTwitterのタイムラインをチェックしているとき、すべてのツイートをしっかりと読んでいますか? 友人が面白い記事をシェアしていたからといって、最初の一文字から最後の一文字まで、すべて読みますか?
読みませんよね。最もわかりやすいのは新聞や雑誌です。紙媒体の新聞や雑誌の文章には文字数の制限があります。雑誌や新聞で文章を書くには「与えられた狭いスペースで、どれだけ正確に、かつ多くの情報量を伝えられるか」という技術が必要でした。
しかし、それも電子版などの登場により、スペースによる制限は実質なくなりました。無限に文章を書けるようになってしまったのです。こうして、読み手のことを考えない長すぎる文章がインターネット上に量産されました。
メールがついつい長くなってしまうのも、文字数に制限がないからです。もしメールに「200文字まで」というような制限があったとしたらどうでしょう? あなたはきっと、必要ない部分をカットしたり、文字数を調整しながら、200文字に収まるような工夫をすると思います。しかし、制限がないため、だらだらと読みにくく長いメールを送ってしまうのです。
「読んでもらえない」という前提で書く
文章のデジタル化、ネット化による「読む」体験の変化、そして世の中の情報量が爆発的に増加したこと、さらにはSNSや動画メディアの発達などによって、人間は日に日に文章を読まなくなっています。
このような状況で文章を書く上で、最も重要なこと。それは、あなたが書くあらゆる文章は、読み手に「読んでもらえない」という前提で書く必要があるということです。多くの人は自分の書いた文章に愛着があるので、当然、読み手も喜んで読んでくれると思ってしまいます。これが、大きな間違いです。読み手はあなたの文章に興味がないし、「できれば読みたくない」と思っています。
これは仕事で大量に送られてくるメールを考えれば、簡単に理解できると思います。CCで送られてくる自分に関係のないメールにうんざりする経験は、誰にでもあるはずです。そうした大量のメールの中から、自分の送ったメールを確実に読んでもらう必要がある。そこで必要なのが、「読み手ファースト」な文章を書く技術なのです。そしてそれは、「読み手の負担を少しでも軽減するにはどうすればいいか?」と考えるホスピタリティなのです。