パリでYOSHIKIに送った「フレフレのエール」。無名の応援団が600万円集めて起こした“奇跡“
「俺に金出せってか?」「はい」
だが、細かく計算してみると、それでもまだわずかに足りない。どうしたものかと考えに考えた末、あと一人、重要な人物を思い出した。それはいつもお世話になっている輪王寺のご住持だ。ただこのときばかりはおんぶにだっこのお願いだけに、少し歯切れが悪くなった。
「あの、実はお願いがありまして……」と切り出した僕に、「何だ?」とご住持。「実はその……パリへの渡航費が心もとないというか……」「は?」。一瞬、ぽかんとした表情を浮かべていたご住持だったが、一瞬で察したのだろう、「もしかしてお前、俺に金出せって言ってるの? ここまで協力してる俺に、金まで出せと?」と、あっけにとられながらおっしゃる。「はい」「わかりました(笑)」。
結局、ご住持も気持ちよく資金を援助してくださったのだった。考えてみれば、僕はずっと一番お世話になってる方に、無理なお願いをしてきた人間なんだと思う。先輩方、ご住持には、「必ず日本に青空応援団ありということをフランスの人たちに見せつけてきますから」と約束をして、遠慮なく支援をいただいたのだった。こうして渡航費がなんとか工面でき、総勢20人の団員が意気揚々とパリへ旅立った。
これに際し、それまで青空応援団の活動を面白がってくれていた地元テレビ局、ミヤギテレビも僕らに同行することになった。ジャパンエキスポでの様子と普段の活動を含めたドキュメンタリー番組をつくってくれるらしい。どうぞお願いしますと取材を引き受けた。
楽屋は乃木坂46と同じ。現地で一番人気は
パリに到着し、さっそく凱旋門前でゲリラ的に応援を披露したところ、パリッ子たちの反応はよかった。歓声が上がり、大いに盛り上がった。だが、博覧会会場での反応はイマイチだった。アニメやアイドルや人気ゆるキャラに比べればまったくの無名。劣勢は最初から明らかだった。
僕たちの楽屋は乃木坂46と同じだった。当時の乃木坂46はまだ今ほどの人気ではなかったので、大人数グループはひと括りにされて、同じ部屋にぶち込まれたような扱いだった。もちろん乃木坂46のほうがはるかに知名度は高いので、僕ら学ランを着たオヤジ連中は完全に邪魔者扱いだ。
案の定、1回目の青空応援団のステージは観客席もガラガラ。一方、ともにパリに乗り込んだ「ふなっしー」には人が群がっていた。あのときのふなっしーの人気といったら、そりゃすごかった。パリまで行って、ゆるキャラに完全に水をあけられたことは、悔しいというより、アウェー感がハンパなかった。
「ちくしょう。ただじゃ転ばねぇぞ。いろいろ背負ってきてるんだ。こんちくしょう」