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「ジブリっぽいし、いいな」矢部太郎、絵本作家の父の絵に思い出すこと

暮らし

やりながら成長していた20代

矢部太郎

――いまこうして本も出している矢部さんですが、20代くらいのときを振り返ると、どんな生活でしたか?

矢部:20代の頃は劇場に出たり、『進ぬ!電波少年』で海外にロケに行ったりしていましたが、今思うと、何もわかってなかったなと思います。何もわかっていなかったんだけど、なんでもやってみて、やりながら成長していた時期だったのかなと。とりあえずチャレンジしてみて、これは絶対に無理だというものが分かったり。逆にこれは楽しいとか。嫌だと思ってたけど、やってみたら良かったとか。

――苦手だと思っていたけれど、チャレンジしてみたらよかったことはありますか?

矢部:……。ちょっと出てこないです(笑)。

M-1グランプリの予選当日に「出たくない」

矢部太郎

――矢部さんには達観したようなイメージもありますが、かつてうじうじしていた時期もありますか?

矢部:うじうじは今もしてます。失敗したことを1日に何度も思い出しますし。

――若いころに、同じ世代の人たちと自分を比較したりといったことは。

矢部:それはなかったです。みんな同じじゃないし、同じようなことはできないし。芸人として天下を取りたいとは、僕も思ってましたけど、でもみんなと同じ天下じゃないだろうなとは思ってました。取れたとしても、違う形だろうなって。たとえば小山とか、丘とか(笑)。

 そうなると登り口も違うし。そもそも最初からお客さんが採点するライブとかコンテストとか、誰かと競うようなものが苦手なんです。「M-1グランプリ」の予選にも、当日出たくないと言って、すごく怒られました。

――え? M-1グランプリの予選に? 入江さんに怒られた?

矢部:当日に「ちょっとやめたい」と。めっちゃ怒ってました……当然ですよね。でもなんか、そういうのすごくダメなんです。負けても嫌だし、勝っても嫌だし。だから勝ったり負けたりというとこじゃないところで、何かできたらいいなと思っていて、漫画を描いてみたのも、そういうところからかなと思います。入江くんには謝って許してもらいました(笑)。

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