“上京失敗”と“留年”の大誤算が心を強くした。藤田晋が語る、学生時代
心は強くなっていくもの
しかし、東京の魅力には勝てませんでした(笑)。かくして私は、新しい下宿先である二子玉川から、厚木キャンパスまで1時間以上もかけて通学するハメになります。しかし、おかげで厚木の雀荘でのアルバイトから足を洗えたので良かったかもしれません。
このように私は、大学入学時から多くの誤算を経験しました。「そんなはずじゃなかった!」という事態に見舞われるのは、決してうれしいことはないでしょう。少なからずストレスに感じることもあります。
でも、大誤算を何回か重ねるうちに、耐性は確実についていきます。心は強くなっていくものです。
誤算が1つもない人生は面白くない
たとえば、「留年のことを親にどう釈明しようか」などと善後策を考えるうちに、謝罪力や交渉力といった、さまざまな能力が高まります。そういった意味では、10代のうちにさまざまな大誤算を経験できたのは、ラッキーだったかもしれません。
もし、あなたが何かをやらかしたり、しくじったりなど、「大誤算だった」と悔やんでいるならば、「これを乗り越えれば、ひと周り大きく成長できるはず」とプラスに捉えてみてください。誤算が1つもない人生なんて、面白くもなんともないはずです。そのいい例が、大企業に勤めていた“超安定志向”の私の父親かもしれません。
また、何かをミスしたとしても、(法や社会規範に触れない限り)失うものはそう多くないはずです。その証拠に、青学を留年してしまった私ですが、今も素晴らしい仲間に恵まれ、毎日楽しく仕事に向かうことができています。安心してください。
<TEXT/実業家 藤田晋>