音尾琢真、北海道からの上京は人生の転機「TEAM NACSの活躍が刺激に」
ここまで脱力系の監督は初めて
――そんなぬるぬるした現場で作り上げた作品を観た感想は?
音尾:そのままに仕上がっていたというか。坂下監督が、実に不思議な存在感の方なんです。現場でも「いま本番を撮っていたんだろうか?」という気持ちにさせられる方で、なんとなく本番が始まり、なんとなく終わるみたいな。「はい、OKです。大丈夫ですよぉ。撮れてますよ~」という感じで。だいたい1回で終わるんです。
――珍しいタイプの監督さんですか?
音尾:いろんな監督さんがいらっしゃいますね。「よーい、どーん! カット~!! OK!!!」と、気合いの入った声の監督さんも結構いらっしゃいますし、そうではない方もいますが、ここまで脱力系の監督は初めてです。作品を観ていただけたら分かる雰囲気と同じくらいの脱力感です。
――でもぬるぬるしているからこそ皮肉が効きます。
音尾:そうなんです。それがこの作品をよくしているものですからね。この作品がゴリゴリした力強いものだったら、逆に響かないというか、監督を見ながらぬるっとした秘書の役作りができたと言いますか。役柄的にそうではない、りえさん以外は、監督の空気に引っ張られて、窪田くん含め、みんなぬるっとした空気のまま現場にいました。
安田顕と戸次重幸との仮住まい
――さて、音尾さんはTEAM NACSのメンバーでもありますが、北海道で活躍されていて、20代後半から東京での活動も増やしていきました。
音尾:東京で映画やドラマに出させていただくようになったのが、20代後半ですね。でもそのときは北海道で仕事ができているし、東京に住むほどでもないのかなと思ってました。
――当時は東京ではマンスリーマンションに住んでいたと。
音尾:ちゃんと東京に居を構えるくらい仕事がしたいとは思っていましたが、札幌でテレビやラジオのレギュラー番組をやらせていただいていましたし、役者として東京に来るときには期間限定なので、一番稼働する場所でということで当時は札幌に居を構えておりました。ただ役者をやっている限りはいずれ東京にという気持ちはありましたね。
北海道の仕事のマネージメントをしている「オフィスキュー」という事務所に、当時は東京のマンスリーマンションを2部屋ほど抑えてもらいまして、そこを安田顕さんと戸次重幸さんと入れ替わりで使ってたんです。
――そうなんですか? 仕事で来る時期によって?
音尾:この作品のここからここは誰々で、ここで入れ替わりだねと、順繰りに。見事にタイミングを分けて使っていました。でもある日、行ったらいないはずの戸次さんがまだベッドに寝ていて「何してるんだよ」と言ったら「寝ちゃった。大丈夫、大丈夫」と言って、いつまでもいたことはありましたけど。