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ノンキャリア官僚だった「戦後最も偉大な総理大臣」が過ごした“ドサ回りの日々”

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東大卒ではない大蔵官僚はアイドルだと…

 大蔵省では当時、大学の成績をもとにまず四、五人の採用を決めていたようです。そのうちの一番、二番くらいを財務書記官として海外に派遣し、これに選ばれるかどうかが、その後の出世に大きく影響しました(『官僚の風貌』一三〇頁)。

 池田も努力して大蔵省入りしたわけですが、東大法学部卒でなかったために、「大蔵貴族」の仲間には入れてもらえません。言うなれば、アパルトヘイト下の南アフリカにおけるプアホワイトか名誉白人のような位置づけです。白人ではあっても、その最下層にいる人々です。「黒人よりはマシ」という立場です。

 もっとわかりやすく言うと、このときの池田の状況はモーニング娘。の保田圭(やすだけい)の立ち位置です。売れっ子の安倍なつみ(なっち)や飯田圭織、ずっと後から入った後藤真希などが海外ロケで写真集を作ってもらえるのに、『保田圭写真集』の撮影場所は事務所から歩いて三分の麻布十番です。

人生4度目の挫折と結婚

嘘だらけの池田勇人

『嘘だらけの池田勇人』(倉山満)

 それでも保田は卒業ライブの観客動員数では歴代メンバー中の一位で、なっちの一万七千人に対し、二万八千人でした。芸能界は人気がすべて、モー娘。保田は実力で見返すことができましたが、大蔵省に入った池田にそんなチャンスは見えてきません。

 池田は、函館税務署長を皮切りに約二十年間ドサ回りです。敗北を取り返すどころか、出世競争から脱落してしまいました。人生四度目の挫折です。

 とはいうものの、世間的には天下の大蔵官僚、伯爵令嬢の広沢直子との縁談が決まり、昭和二(一九二七)年、井上準之助(当時は元蔵相)の媒酌で結婚します。

嘘だらけの池田勇人

嘘だらけの池田勇人

若き日の挫折人生、中間管理職時代を乗り越え、これからというところで志半ばで倒れるも、その功績で日本を今なお救い続けている池田勇人の知られざる物語

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