前澤友作氏「お金配り」は何のため?プレゼント詐欺が続出するネットの闇
前澤氏のフォロワーは騒動に無関心?
さらに違和感を覚えるのは、前澤氏のフォロワーの大勢がこの「小さな一歩」の騒動を目の当たりにしたはずなのに、あまり問題にならなかったことだ。1000万フォロワーのほとんどが単に「金配り」以外に関心がないのなら仕方ないが、もしも前澤氏のことを支持するあまり、おかしなことをおかしいと言えなくなってしまうなら、「お金配り」の力は恐ろしいと言わざるを得ない。
前澤氏ほどではなくても、実際にお金を配っていた某A氏のことを連想する。彼には逮捕歴があって有罪判決も受けた。だがその後、反省の態度とともにツイッター上で億単位の現金をバラ撒いた結果、多くのフォロワーを獲得するに至った。
司法判断が下ったはずの違法行為すら不当に陥れられたと言わんばかりの発信を続けており、そうした投稿にはA氏が正義だったと信じる者のリプライで溢れている。
「信者」の集団に吊し上げられることも
それにもまして不快だったのは、インフルエンサーとして不動の地位を築いたA氏に晒されたことで、A氏の知人に否定的な発信をしたアカウントが「信者」の集団に吊し上げられてしまい、ネット上から抹殺されたことだ(この件も「プレゼント企画」を虚偽ではないかと疑ったことに起因していた)。
A氏の場合、社会的信用を失った者が「お金配り」によって逆転に成功し、発言力を得た顕著な例と言えるだろう。ネット社会は「お金の力」でカリスマになれる。教祖様にだってなれるということだ。
前澤氏やA氏のそれに限った話ではないが、有象無象が投稿する「プレゼント企画」に参加する人の多くには、関係者以外からのURL付きのさまざまな宣伝メールが送りつけられている。それに加え、前澤氏らの手法を模したプレゼント企画を乱発するアカウントや、胡散臭い情報商材屋に次々にフォローされ捕捉されていく。こうした現実もある。
何かがもらえるチャンスに群がる心理は分かる。お金がもらえるのならみんな欲しいに決まっている。だからといって、簡単に信用を預けていいのか。その人を妄信してもいいのだろうか。そして何より、自分の欲深さをネット上に晒していいのかどうか、熟慮したいものだ。
<TEXT/黒猫ドラネコ>