東大卒の住友商事マンが28歳で起業して「フリーランス」になった理由
コロナ禍で、キャリア観にも変化が起きています。大手転職サイト・ビズリーチが会員(517人)を対象に行った調査では、「企業に依存しないキャリア形成が必要」と考える人が90%以上。フリーランス商社マンの小林邦宏さん(@kunikobagp)はまさにそのパイオニア的存在です。
東大卒、住友商事出身、父親との会社経営……小林さんの経歴を聞くと、恵まれたエリートをイメージします。
しかし、著書『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?』(幻冬舎メディアコンサルティング)を読むと、これまでずっと上り坂でも、平坦でもない道を歩んで来られたようです。
なぜ僕がフリーランスを選んだか
―― 住友商事で「上司と合わない」「自分らしさが発揮できない歯車のひとつ」と感じたとき、なぜフリーランスの道を選んだのですか?
小林邦宏(以下、小林):商社を飛び出したのは2005年。新卒で入社して5年目です。今でこそ、個人経営の商社は増えましたが、当時はまだ「フリーランスの商社マン」という概念すらなかったですね。
もちろん、海外駐在や留学、転職という選択肢も、思わなかったわけではありません。当時の商社マンといえば、それが王道でしたから。父がたまたま会社をやろうとしていたので、このチャンスを活かそう! と。
実をいうと、動機は非常に甘くて単純です。僕は学生時代、ゴルフ部に入部して夢中になり、キャディのバイトをしながらプロ選手と海外を飛び回っていました。フリーになれば、ゴルフ三昧できるだろうと(笑)。
――そう上手くはいきませんでしたか?
小林:まったくいきませんでした(笑)。個人の商社は、何もかも自分でやらなければいけません。しかも、「大手商社が行かない国や地域のニッチな商材」を開拓していますから、時差の関係で仕事は昼夜問わずです。
今も、残念ながら、ゴルフは全然できてません。僕は健康オタクなので、ジムに通ったり、体を動かすことは続けていますが。一年の大半を海外で過ごしていると、時差に負けないよう体力は必要なので。
投資家から突きつけられた「厳しい条件」
――そのうえ、個人商社スタート早々、投資家から「1年以内に黒字化」という厳しい条件を突きつけられたんですよね?
小林:はい。商社は商材を仕入れるのに、資金が必要ですから。その頃は毎晩お金に追っかけられる夢を見ました(笑)。とにかく死に物狂いで、がむしゃらに働きました。「絶対、達成してやる!」と思っていました。
――そして、見事、条件達成。まるでドラマ『半沢直樹』や『ハゲタカ』のようですね。ゴルフもできず、逃げたくはならなかったのですか?
小林:退路を断っていたので、もう引き返せませんから。壁にぶつかったとき大切なのは、それを乗り越えるメンタリティですね。ポジティブシンキングというか。達成できるイメージしか持たないようにしてました。
実は、大学時代にゴルフと出会ったのも、壁にぶつかったからです。東京大学に入学するまで、僕は頭がいい、勉強ができると自負していました。ところが、東大にはもっと優秀な人、天才級の人がいる。
これはかなわない、研究職は無理だなと思いました。で、ゴルフを始めたら、意外にもこれが自分に合っていた。そして、キャディのバイトで海外遠征するプロゴルファーに付き添ううち、目が開かれたんです。
世界を飛び回る選手たちを見て、「こういう生き方もあるのか」と。あのとき壁にぶつからなかったら、海外へ目は向かなかったと思います。フリー商社マン、旅するビジネスマンという今の自分はなかったでしょう。