リクルート社員が被災者とはじめた挑戦。3万人が愛用する「新しい市民証」とは
東日本大震災からちょうど10年目の節目を迎えた。当時、瓦礫や被災物でいっぱいだったエリアにも新たな街ができ、この10年で見た目は大きく様変わりしたところもある。風化しつつある震災の記憶だが、今なお復興はつづいている。
今回、取材したのは、私と同じ気仙沼市への出向者として当時企業から送り出された小松志大さん(45歳)。
現役リクルート社員である私・森成人は、2013年より東日本大震災の被災地である宮城県気仙沼市で生活し、1405日間(およそ3年10か月)の仮設住宅暮らしをブログ「気仙沼出向生活」で綴っている。本連載「リクルートから被災地へ」では被災地の生活を通じて知り合った、ローカルで活躍する若者などを紹介する。
震災復興というミッションと共に
2013年、私は突然の被災地派遣という仕事に携わることになった。これまで訪れたこともない東北に単身で、しかも仮設住宅に住み、行政へ出向する。経験のないミッションに動揺したのを今も覚えている。
そんな私と同じ民間企業から出向し、役所で隣の席に座っていたのが、今回取材をした小松さんだ。当時を思い出すと、まだ被災の爪痕が生々しく残る現地で、自分たちは何ができるのか右も左も分からない状態だった。
そして、そんな私たちに、気仙沼市長から「気仙沼の資源を活かして何か産業活性をしてほしい」というミッションを与えられる。やりがいを感じた半面、全く経験したことのない仕事に、どこから手を付けていいのか。私も、小松さんも本当に不安な毎日だった。
気仙沼の魅力をつむぐ仕事を創る
そんな私たちだが、まずはいろいろなことに着手した。港町・気仙沼特有の魅力を、地元事業者と外の人に伝える商品・サービスを開発した。サメのコラーゲンの成分から化粧品を開発したり、利用価値があまりなかったオキアミから特殊な成分を見つけ出し、新たなサプリを製造したりするなどだ。外部の研究者や地域の事業者と協力して、水産加工品の開発も行った。
一方、観光体験ツアーとしても漁師のガイドから学べる牡蠣養殖体験や気仙沼湾のクルージングツアーなどを開発し、それを国内やインバウンド客に売り込むなど、小松さんとさまざまな仕事をやってきた。
「正直、復興の仕事ができると意気揚々と始めたものの、最初の頃は毎日気仙沼から逃げたかったくらいツラかったです」。小松さんにそうカミングアウトされたが、たぶん私もそうでお互い本当に必死だったのだと思う。