「震災を機に気仙沼に移住」数億円の世界から離れて女性デザイナーが見つけた幸せ
東日本大震災が発生して地元へ
そんなさなかに起きたのがあの東日本大震災だった。「テレビを見たら自分の地元が映っていて、『えっ!? ほんとに?』となり、思考停止してしまいました」と語る、鈴木さん。
そこで慌てて2週間会社を休んで物資を積んで気仙沼へ向かったそうだ。
「震災後すぐに実家に戻ったのですが、現実とは思えない風景に本当に言葉が見つかりませんでした。実家も流されたので、避難所であったときの家族の姿は忘れられません。現実の大きな被災地と都内との対比に不甲斐なさを感じつつも何もできない自分に苛立つ日々でした」
これでいいのか? と悩んだ末、鈴木さんは東京の仕事を辞めて気仙沼に戻る。
「デザインの価値をうまく伝えられない」
気仙沼に戻ったのはいいものの、鈴木さんを待っていたのは自分が培ってきたスキル・価値ををうまく伝えられない、理解し合えないという葛藤だった。
「デザインに対しての価値を地域の人にうまく伝えられず理解し合うことができませんでした。1~2年は助成金の仕事でなんとか気仙沼でデザインを製作することができましたが、デザインの価値を正しい価格で受けることができず、半ばただ働きに近い形での仕事を受けることもありました」
地域でクリエイティブな取り組みを行うことの苦労は、私にも経験があり、この気持ちは本当によくわかる。
「ただこの時に自分のスキルが足りないことにも気づいたんです。これまではデザイナーとして流行を追うデザインばかりを追い求めていましたが、ローカルで自分一人となったことで、作り手の思いや商品ストーリーを汲み取って、デザインをきちんと考える力を養うことにしたんです」