「震災を機に気仙沼に移住」数億円の世界から離れて女性デザイナーが見つけた幸せ
地元に戻ってきたクリエイターの本音
鈴木さんはもともと気仙沼の出身だが、東京でデザインのキャリアを積んで、私と同じく7年前に気仙沼に戻ってきた数少ない地元在住のクリエイターだ。
地元の人間と一緒にブランドのクリエイティブを創っていくというのはどこにでもある話ではない。自分の事業の構想をデザインにすることはもちろん、そこにお金をかけるということを理解してくれる人はまだまだ少ないと言え、さらに理解してくれたとしても、そのクリエイティブを依頼する先はたいてい都会の広告代理店だ。
そんなときに地元の方にクリエイティブを依頼できる環境は極めて稀だ。気仙沼以外の地域活性事業に携わっている仲間に話を聞いても、地元にクリエイターがいないので「事業アイディアを地元で自走できない」という嘆きをよく聞いていた。そう思うと鈴木さんのキャリアはかなり特殊だ。
20代は渋谷でデザインの最先端にいた
鈴木さんはデザイン系の大学を卒業後上京。洋服のデザイン会社に入社し、クリエイティブディレクターとしてのキャリアがスタートする。
「その当時は東京渋谷の最前線で、自分のデザインひとつで何億円という数字が動く世界に身を置いていたので、まさに朝から晩まで自分の人生すべてがデザイン漬けでした。気仙沼は大好きだったんですが、地元で自分の仕事が成り立つという未来を想像できなかったんです」
街中でふと見ると、自分がデザインした服を着ている人を見かけることもあり、東京でまさに頭のてっぺんから足のつま先までデザインに没頭した生活を送っていたそうだ。