元サッカー日本代表・鈴木啓太「指導者以外」の道でサッカー界に貢献したい理由
野球選手やサッカー選手など、プロスポーツ選手は大衆の憧れだ。華々しい結果を残せば、契約次第で数億円の年俸と、日本中から名声を得られる。子どもの頃にプロスポーツ選手を「将来の夢」と語った記憶のある人も少なくないだろう。
しかし、そんな現役時代とは裏腹に、引退後のセカンドキャリアは地味になりがちだ。プロスポーツ選手になれはしたものの大成できなかった選手はもちろん、10年以上現役でいられたような、才能あふれる選手でさえも例外ではない。
今回は、そんなプロスポーツ選手のセカンドキャリアの課題について、現役を引退したのち、腸活ベンチャー企業「AuB(オーブ)」を設立した元サッカー日本代表・鈴木啓太氏に話を聞いた。
望めば現役は続けられたが…
鈴木さんは2015年シーズンを最後に引退したが、所属チームの浦和レッズを離れて現役を続行する道もあったという。
「引退する前年の2014年時点から翌シーズン限りで浦和を出ることが決まっていたので、違うクラブとも話をしていました。オファーはいただいていたので、私が同意すれば現役は続けられました」
ただ、結果として浦和退団と同時に引退を決断。その決断に至った理由は「浦和レッズ」の存在だった。
「私の退団報道がメディアから公表されることになったのですが、『今までお世話になったファンには、自分からそのことを言いたい』と思い、SNSを通じて自分の言葉で浦和退団を発表しました」
「浦和で引退したい」と思った
すると、SNSにファンからたくさんのメッセージが寄せられ、「浦和を離れても、どこに行っても応援します」と声をかけられたという。ただ、浦和ファンはJリーグのなかでもとくにクラブ愛が強く、鈴木さんも浦和に育ててもらった選手としてクラブへの恩を感じていた。
「いろいろなことを考えるなかで、『浦和の外でプレーしてもいいのかな』という思いが沸き上がり、ここで辞めよう、辞めたいと思ったんです。ファンのためというよりは、それが自分自身の判断基準になった感じですね」
プロスポーツ選手の引退後のセカンドキャリアでまず思い浮かぶのは「指導者」だ。しかし、鈴木さんは以前から「指導者の道は考えていなかった」とメディアで公言してきた。
「サッカーの場合は指導者のライセンスを現役時代から取得できるんですが、それは取りませんでした。今も、将来的にも、やはり指導者の道は考えていないですね」