「カフェブームの立役者」に聞く、ミーハーから流行を生み出すには
故・藤巻幸夫氏と過ごした伊勢丹の日々
「憧れの人の下で仕事できるのは嬉しかったですね。藤巻さんと一緒にいると、常に色々な人を紹介してくれた。デザイナーやクリエイター、広告代理店、大手メーカーなど、さまざまな職種の人と繋がることができ、1日名刺交換だけで終わる日もありました」
しかし、ある日、中村氏は何を目標として働けばいいのかわからなくなり、会社を辞めたいと相談したという。そこで言われたのは「自分のやりたいことを伊勢丹でやってからやめろ」という言葉だった。
「伊勢丹でまずは自分のやりたいことをやって、形にしてからやめようと思ったんです。正直やりたいことはあまり思いつかなかったのですが、1つだけ浮かんだのはパーティを企画すること。クライアントやクリエイターなど多くの人を巻き込む仕事だったので、異業種交流会を開けば交流関係が生まれ、いずれ仕事に繋がるのでは。そう思ってパーティを始めたんです」
藤巻氏の海外出張に同行した際、ニューヨークやパリのおしゃれなカフェが、夜になるとパーティ会場に様変わりする光景が印象に残っていた。
憧れの上司に感化されて始めたのは…
そんな世界観を再現したいという想いから「オーバーグラウンド・トウキョーサロン・ルージュ」という招待制のイベントを毎週金曜の夜22時から始めた。これが瞬く間に業界人の間で話題となり、毎回開催するたびに口コミでどんどん広がっていった。
「ルージュで出会った人とは今でも仕事で関わったり、連絡を取り合ったりしていますね。パーティで得た人脈を生かし、伊勢丹のフロア開発を手がけ、少しずつ『伊勢丹の中村さん』という名が通るようになっていったんです」
そして転機が訪れる。師を仰いだ藤巻氏が伊勢丹を去ることになったのだ。「藤巻さんが伊勢丹を去ったとき、僕も30歳くらいで独立しようと決心していたことから、『今がちょうどやめどき』だと悟ったんです。結果的に後を追うようにして伊勢丹を退職することにしました」。
これからは伊勢丹の看板を背負うのではなく、個人の名で勝負したい。そんな野心を抱き、独立したわけだ。