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“屋根なしのリアル実家”で撮影したMVが衝撃。希帆が語る幼少期のエピソード

暮らし

父のトラウマ「保育園での出来事」

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――一番、楽しかった思い出は?

希帆:ご飯の時間がすごく幸せでした。必ず家族みんなで食卓を囲むって決まっていたので、賑やかで楽しかったのを覚えてます。ママが調理師の免許を持っているので、いつも手作りで。誕生日も、歌詞にあるとおりでチキンカツだったんですが、それでも本当に幸せでしたね。

 自分の中では、それが普通だったんですけどね。大人になってから、両親が共働きだった人に「家族で食卓を囲むなんてなかったよ」って言われたときに、あれは本当に幸せなことだったんだなって気づきました。友達がマックとか食べてるのを見るとすごい羨ましかったりしたけど、「ないものねだりだったな」って今では思います。

――逆に、ツラかったことは?

希帆:歌詞にもなってますが、保育園のお遊戯会で浴衣が必要になって、バスタオルで作った浴衣を持って行ったら、それを見た先生が気を使ってくれて、私だけ別の演目に移動になったんです。それがいまだにパパのトラウマになっているみたいで。その時、踊るはずだったユーミンさんの「春よ、来い」が流れるたびに、泣いちゃうって言ってました。

 そういう、私の中では特に気にしていないようなことでも、パパは心が痛かったんだなって思うと「ごめんね」ってちょっとツラくなります。

「爆笑なんだけど!」重盛さんの反応に

希帆

※「uchiseiuchi feat.友達」MVより

――思春期のときに、グレたりしなかったんですか?

希帆:グレるまではいかないけど、反抗期は普通にありましたよ! でも、家出したくてもお金がなくて行く場所がなかったんで、半日とかで帰ってきてました(笑)。

――生い立ちを重盛さんにも言えない時期があったとのことですが、今はどのように受け止めていますか?

希帆:今では、これが自分だなって思えるようになりました。開き直りました。私の過去がネタになるって気づかせてくれたさっちゃんとか、周りの人たちのおかげもあります。前までは、こんなこと話したら嫌われる、引かれるっていうネガティブな気持ちもやっぱりありました。

 でも、それを話せるようになったきっかけがあって、私が実家の雨漏りを直していて、さっちゃんから来ていた仕事の連絡にすぐ返せなかったんですね。それで「実家がいまこんな状況で、ケータイ見れなくて。本当にすみません!」って家の写真を証拠として送ったんです。

 そしたらさっちゃんが「え!? 爆笑なんだけど!」みたいな反応で「これって笑えることなんだ!」って。普通なら「え、大丈夫……?」「連絡あとでいいから」みたいな感じだから、予想外の反応でした。「それ武器武器(笑)! いつ行っていい? そこ」って(笑)。

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