バチェラー司会・坂東工、コロナ下こそ「アートの重要さを感じてほしい」
恋愛リアリティ番組のなかでも高い人気を誇る「バチェラー・ジャパン」で、全シーズンに出演しているのは司会を務めている坂東工さん(43)。俳優としてはハリウッドデビューも果たしているが、現在はアーティストとしても評価されており、幅広い活躍を見せている。
番組では落ち着いた語り口と紳士的な佇まいが印象的だが、実はここまでの人生は決して平坦なものではないという。インタビューの前編では「バチェラー・ジャパン」出演から俳優デビューを果たすまでについて聞いた。後編では、これまでに経験したさまざまな苦労から学んだことや20代ですべきことなどについて話を聞いた。
撮影の反動でぷつんと「言語障害」に
――2006年にはオーディションを経て、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』に出演しましたが、役者としても、味わったことのない現場だったのでは?
坂東工(以下、坂東):イーストウッド監督は、場当たりもリハーサルもなしで、「アクション」や「カット」も言わず、「さあどうぞご自由に」という感じなので、素人みたいな僕がいきなり一番レベルの高い現場に入ったわけですよ。でも、追い込まれたら人間ってやるもんですね。いま見ても下手くそな芝居だなとは思いますが、ソウルが出るような環境に彼らがしてくれました。
ちなみに、最後に頭を撃って死んでしまうシーンを撮った瞬間に、自分の中にある“糸”がプツンと切れる音が聞こえて、そのあと僕は言語障害になってしまったんです。
――実際、どのような症状になったのでしょうか?
坂東:オーディションで自分の名前が出てこなかったり、パニック障害みたいになってセリフが覚えられなかったり、日常生活でもどもってしまったり。完全に回復するまでに4~5年はかかりました。
そうなってしまった理由は、自分でもわからないんですが、家族との縁が薄かった幼少期を過ごした僕が一番欲しかったご先祖様との繋がりに役を通じてコネクトしてしまったのかもしれないですね。
1か月半で一気に15キロも痩せた
――その後、どうやって克服されましたか?
坂東:僕がアーティスト活動を始めたのは、33歳になってからでしたが、いろんな偶然が重なって個展を開くことになったんです。そこで、アメリカを放浪していたときに集めた皮や石を使って作品づくりを始めたら、それまでの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、気が付いたら号泣。
1か月半で一気に15キロも痩せてガリガリになってしまいましたが、それがきっかけで言語障害も治ったので、アートセラピー的な感じだったのかなと思っています。