「地ビールレストランで大失敗」獺祭4代目社長に聞く、逆境を乗り越える力
口コミに支えられた海外進出
2006年に旭酒造入社後は、製造での修行を経て、常務執行役、取締役副社長として主に海外マーケティングを担当するようになる。今でこそ世界で親しまれている「獺祭ブランド」だが、外国人の心をとらえたワケを「お客様が満足し、美味しい酒を作ったから」と答えた。
「旭酒造で働き出してから、2年目にニューヨークで現地での販路拡大のため、さまざまなお店を回りました。しかし、なかなか売れません。当時、ニューヨークで日本酒といえば東北などの銘柄が主流で、山口県という土地で醸造された、値段も安くない日本酒が入り込む余地はありませんでした。
それでもニューヨークに獺祭を扱っているお店が何軒かあることを知り、イベントをやったり、スタッフの勉強会を通じて獺祭を伝えていきました。すると、お客様が口コミとして広めてくれ、徐々に飲食店での取り扱いが増えました」
お客さんからお客さん、店から店へと広がっていく中で、獺祭が富裕層たちの目に留まった。彼らが香港やパリで、その魅力を伝え、市場を広げたことが、海外展開の追い風になったのだ。
地ビールレストランで大失敗した過去
海外での販路拡大に一役買った桜井社長は、2016年9月から代表取締役社長に就任。旭酒造の4代目蔵元として、経営全般を見るようになる。以後、地ビールレストランの大失敗や酒造りを行う杜氏(とうじ)制度の廃止、2018年の西日本豪雨による被害など困難と立ち向かってきた。
「父(会長)の代の1999年3月に、岩国の錦帯橋近くの河畔で地ビールレストランをオープンしましたが、全く軌道に乗らず3か月でクローズした。当時の年商に匹敵する赤字を出して一気に経営悪化しました。杜氏も会社を去ってしまい、社員だけで酒造りを行わざるを得ない状況に。
今まで杜氏の経験や勘頼りだったところから、素人が酒造りするなかで論文や指導方法を言語化し、必死でマニュアルを作成しました。失敗作も出ましたが、杜氏制度という型枠を外して、美味しい酒を追求ができました」