リクルートから被災地へ。1405日間の仮設住宅暮らしで見つけた「地方創生」のカギ
都会でのエコノミック・アニマル生活だった自分
ここで簡単に自己紹介をしておきたい。私は大阪で生まれ地元の大学を卒業し、就職氷河期だった1999年に新卒でリクルートに入社した。営業、編集、企画などさまざまな業務を経験する中で、まさに仕事のいろははすべてこの環境から学ばせてもらった。
特に新規事業の立ち上げというポジションに関わる機会が多く、生活情報誌の『ホットペッパー』やクーポンサイト「ポンパレ」、宿と航空チケットの同時予約できる「じゃらんパック」など数多くの事業開発の仕事もさせてもらった。まさに自分は、朝から晩まで都会でビジネスをするために自宅とオフィスを往復して生きていた動物、そう“エコノミック・アニマル”だったといえる。
会社からもらったミッションをベースにその目標を達成するために行動し、その延長線上にある自身の将来キャリアを創造して疑うことなく働く毎日が当たり前。今振り返るとまさにそんな人間だったと思う。
宮城県気仙沼市での仮設住宅生活スタート
会社の内示から約1か月後、いよいよ宮城県気仙沼市へ引っ越しを開始。さすがの事態にまずは嫁を置いて単身赴任で仮設住宅での暮らしをスタートさせる。住まいはかなり山奥の仮設住宅。近くに民家は少なく、夕方にはマムシが夜にはカモシカが、あとたまに熊が出るので気を付けてということだった(気を付けられるのか? とは思ったが)。
そして街を一望するが、震災から2年経ったといえど市内中心部は津波の影響でまだ大きな船が陸の真ん中にあり、街の建設はまだまだこれからという状況。ここで今の自分がどんな役に立てるというのか。
なんとか引っ越しを終えてまずは仮設住宅での初日の夜を迎える。仮設住宅の天井を眺めながら思い悩んでいたことはただひとつ。
「明日から自分は社会人として何屋さんとして生きていけばいいんだろうか……?」
都会で生まれそのまま企業に入って今に至る自分にとっては、明日から社会でどんな名札を下げ生きてくのか、が全く分からなくなってしまったのである。ましてや同じ住まいにおられる方は私以外すべて被災者。もし読者の皆さんが私の立場ならどう感じるだろうか? そしてさらに事件が起こる。