「君たちはどう生きるか」漫画にはなかった小説版の深~いエピソード
しかし一方で、この本にはどう生きるのか、その具体的な指南は一切ありません。おじさんが一貫してコペル君に伝え続けたのは「常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ」ということ。
例えば、「おじさんノート」にはこんな文章があります。
「いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う」
「ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。それが、本当の君の思想というものだ」
そして物語は最後、やっぱり、こう問いかけます。
そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。――君たちは、どう生きるか。
本書を読んで、コペル君はあまりに聡明で、おじさんの言葉はキラキラするほど正しく真っ直ぐで、気恥ずかしく思う人や反発心を覚える人もいるかもしれません。
「かわることのない私達にたいする問いかけ」
しかし、そんな批判も上等とばかりに、岩波文庫版の巻末では政治学者で思想家の丸山真男がこう指摘します。
「『甘ったるいヒューマニズム』とか『かびのはえた理想主義』とか、利いた風な口を利く輩には、存分に利かせておこうじゃありませんか。
『君たちはどう生きるか』は、どんな環境でも、いつの時代にあっても、かわることのない私達にたいする問いかけであり、この問いにたいして『何となく……』というのはすこしも答えになっていません」
迎合や諦念、惰性に思考停止――これらは、世の理不尽に対するもっともカンタンな自己防衛で、この本が誕生した時代にはまさに生きのびるための術でもあったでしょう。
しかし、その時代にあってすら、本書はそれをよしとしません。
刊行から80年後、漫画というかたちで親しみやすくなって復活し、「不透明な時代に共感の一冊」といった評価もされているようですが……逃げることを許さない、この『君たちはどう生きるか』は、実はとても厳しい本のような気がします。
<TEXT/鈴木靖子 PHOTO/林紘輝>