若手コント職人・かが屋、コンビ結成秘話「コンビニ店長のおかげ」
現在、お笑い界でもっとも注目を浴びている、若手コント職人・かが屋の加賀翔さん(26)と賀屋壮也さん(26)。昨年から大きな賞レースでメキメキと頭角を現しており、テレビの世界からも熱い視線が注がれている。
今年で芸歴6年目。彼らは今、どんな思いで活動しているのだろうか? 幼少期や学生時代のエピソード、コンビ結成までの経緯を含め、2人にインタビューを敢行した。
バラエティ番組の切ない思い出
――現在、お笑い芸人として活動されている2人ですが、それぞれ幼少期はどんなタイプでしたか?
加賀翔(以下、加賀):うちの両親が小4で離婚してるんですけど、幼稚園くらいからお婆ちゃんの家に預けられていたんです。で、ある日僕がリンスとシャンプーと歯磨き粉を混ぜて「化石をつくる」って言ったら、お婆ちゃんがすごく協力してくれて。周りに誰も止める人がいなかったから、常識みたいなものが分からない少年でした。
賀屋壮也(以下、賀屋):僕の家も離婚していて、幼稚園に入る頃には母方の実家で暮らすようになりました。幼少期は目立ちたくなかったのか、母親に「なんでも2番がいい」って言ってた少年。幼稚園の運動会でも1番だったのをわざわざ途中で立ち止まって2番でゴールしたらしいです。今考えると、逆に目立ってるけど(笑)。
――ちなみに小さい頃は、どんなバラエティ番組を見ていましたか?
加賀:あんまり見ていなかったですね。お婆ちゃんの家から一旦離れて、父親と暮らしていた時期があったんですけど、テレビでF1かプロレスばっかり流れてた。チャンネル権が完全に父親にあったので。初めて面白いって思ったのは中学生のときに見た『人志松本のすべらない話』。家族の話でこんなに笑えるんだって衝撃を受けました。
賀屋:僕の家は、なぜかリビングにあるテレビだけ、フジテレビとテレビ朝日が映らなかったんです。で、ある日学校の友だちから『ココリコミラクルタイプ』が面白いって話を聞いたんですけど、見れないからどうしようと。
「あ、お爺ちゃんの部屋にあるテレビなら見れる!」と思って頼み込んで見せてもらったら、子どもの両親が離婚する設定のコントをやっていて(苦笑)。ちょうどうちも別居真っ最中だったので、お爺ちゃんに「こんなもん見んな!」ってソッコーでテレビ消された思い出があります。
ギタリストを目指して上京した?
――中学、高校でお笑いに目覚める人も多いですが、2人はどんな学生でしたか?
賀屋:僕は中高一貫校に通っていたんですけど、中学時代は女の子から嫌われてたみたいですね。というのも、家が薪風呂で手間がかかるので、実際に湯船につかるのが2日に1回。
しかも、その煙突が子ども部屋に向いていて、干している服がぜんぶ燻されちゃって(笑)。学校でずっとスモーキーな臭いを放ってたから、そりゃそうなるわって感じですけど……ツラかったです。
加賀:僕は、高校に行ってから引きこもった時期があって中退したんです。それから地元のスーパーでアルバイトしていたんですけど、そこで知り合った音楽好きの先輩に「やることないならギターでもやってみたら?」って薦められて趣味でギターをかじったりしてました。
なんかネット上で「ギタリストを目指して上京した」みたいな誤解があるみたいなんですけど、そんなことはなくて(苦笑)。コード進行も分からないし、弦を弾いても音が鳴らないカッティングの仕方ばっかり追求してました。