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ツラくても「やりがいのある仕事」なら、頑張れるのは本当か?

学び

「やりがい」を客観視する

「楽しくてやりがいのある仕事、職場」には気をつけるべきだ。そう私は警鐘を乱打したい。この手の話をすると「とはいえ、そのような職場は理想的」「楽しさ、やりがいが一番」「若いうちの苦労は買ってでもするべき」という反論があることだろう。ただ、「楽しさ」「やりがい」などのキーワードに踊らされて、心身ともに健康を害してしまっては元も子もない。人生は長い。息抜きながら生き抜かなければならないのだ。

 私は「やりがい」なるものについては、常に客観視するべきだと考えている。自分がどんな「やりがい」を求めるのか、現状の「やりがい」は何からきているのかを考えてみよう。企業そのものの魅力なのか、自分が働く職場なのか、任される仕事なのか、待遇なのか、成長やキャリア形成の機会なのか、生活とのバランスなのか…。

 このどれか、あるいはいくつかにより「やりがい」は成り立っていないか。立ち止まって考えてみよう。

 客観視することは有益だ。「やりがい」の構成要素が分かるからだ。毎日の「やりがい」が実は危ういバランスで成り立っていることに気づくかもしれない。

「お金が中ぐらい好き」「高めの中空飛行」のススメ

スーツを着ているビジネスマン、考える

 最後に私の処世術を。ちゃぶ台をひっくり返すようだが、私は何だかんだ言って仕事が好きなのだと思う。だから、仕事の依頼はほぼすべて受けてしまう。仕事の依頼主も私の「やりがい」のツボをおさえているのだろう。このように、原稿を書くためにMacに向かっている時間が好きだし、自分が書いたり話したりした言葉で読者が反応し、社会が少しでも動くのは楽しい。

 ただ、忙しくなりすぎないようにも、やりがいにつぶされないためにも、逆に金の亡者になっておかしくならないようにも、バランスをとっている。私は「お金が中くらいに好き」だ。この価値観を大事にすると、バランスが取れるものである。

 起業して株式公開や売却によって大金持ちになるという道もある。物書き業に関してもより合理的に稼ぐ方法はもっとあるだろう。ただ、金の亡者になって、極度に忙しくなったりするのは嫌だし、人の道に外れたことまでしたくはない。

 一方で「やりたいことをやっていれば、貧しくても幸せ」というのも嘘だと考える方だ。ジムに通う時間、家族と過ごす時間、iPadでぼーっと雑誌を読む時間を犠牲にしたくはないし、一方でほしい服を一通り買ったり、誘われた食事会に金の事情で参加できないなんてことは避けたい。こんなことを意識すると、仕事との付き合い方も少しだけ冷静になれるのだ。

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