「売れる芸能人の見出し方」藤田ニコル・みちょぱを発掘の元Popteen編集長が語る
バラエティや情報番組、ドラマなど、地上波のテレビを賑わす芸能人やタレント。
俳優やモデル、お笑い芸人、アーティストなど、多種多様なバックボーンを持つ芸能人が、毎日いろいろなテレビ番組に出演し、一芸を披露したり面白トークを展開したりしている。
他方で、雑誌モデルから芸能界へ入り、大きな成功を収めている人も多い。
藤田ニコル(にこるん)・池田美優(みちょぱ)はその代表格であるが、どちらもティーン向け女性ファッション誌「Popteen(ポップティーン)」の元モデルとして活躍していた。
この2人を見出し、ブレイクのきっかけを作ったのが元Popteen編集長の森 茂穗氏。
さまざまなファッション系雑誌の編集長を歴任し、現在はファッションクリエイターズマガジン「Zipper(ジッパー)」の編集長を務めている。
売れる芸能人を発掘する審美眼や、SNS時代におけるスター誕生のきっかけについて森氏に伺った。
目次
編プロから出版社へ転職して現場での下積みを経験
森氏は新卒で大手芸能事務所のアミューズへ就職。
タレントのマネージャーを担当するも、「人付き合いを軸に仕事するのが合わない」という理由で1年で退職し、その後は2ヶ月くらいニート生活を送ることに。
時間を潰すため、図書館でふと手に取った「パイロットフィッシュ」(大崎善生 著。エロ雑誌の編集者務める主人公・山崎の青春時代の恋人にまつわる現在と過去を描く青春小説)が雑誌編集者に興味を持つきっかけになったという。
そして、編集プロダクションからキャリアをスタートすると、次第に「雑誌の企画やコンテンツを、自分で裁量を持って決められるようになりたい」という思いが強くなり、出版社のインフォレストへ転職する。
同社は「Samurai ELO」や「小悪魔ageha」など、当時勢いのあった雑誌を扱う版元で、森氏は女性ファッション誌「Happie nuts」の編集部員として現場を4年間経験することに。
「当時はギャルのファッションブランドについて、全くと言っていいほど知らず、『マルキューブランドのSLYやMOUSSYって知ってる?』と聞かれてもピンと来ませんでした。なので、本当にゼロからスタートし、初めはタイアップ企画や読み物ページ、コラムなどをやらせてもらっていました」(森氏)
自分で写真の撮り方を学んだり、モデルのハントに出かけたりと、編集部内でアピールを続けた結果、雑誌の花形と言えるファッションのページも担当させてもらうようになったそうだ。
「3+1の法則」で雑誌を支える人気モデルを発掘
だが、Happie nutsの全盛を支えたモデルの次の世代を発掘できず、徐々に売り上げは減少。一時の人気に陰りが見え始めた頃、森氏は編集長に抜擢され、雑誌の立て直しを任されることに。
「人気モデルがいれば、雑誌は売れる」
ずっとそう感じていた森氏は、とにかく新しい雑誌の顔となるモデルを輩出しようと街に繰り出し、さまざまなギャルと会っていったという。
「知人の口コミやつてを使い、時間を惜しまずにいろんなギャルに会いに行って話を聞いていきました。また、実際に写真も撮らせてもらい、『モデルとして光るものがあるか』を判断していったんです。編集長になる前から、定期的にモデルハントの活動はやっていましたが、トータルで数千人は会っていると思いますね」
森氏は雑誌モデルをピックアップする際、「3+1の法則」というものを意識していた。
これは、その当時に赤文字系ファッション雑誌として名を馳せた「CanCam(キャンキャン)」の大西編集長の手法を分析し、「山田優、押切もえ、蛯原友里の3大モデルに加え、時間差でもうひとり有望なモデルを見つけることで、雑誌の人気にブーストをかける」という独自理論を参考にしたもので、Happie nutsの中でも系統の違う3人のモデルを、まずは選定することに森氏は尽力したのである。
そして、渋谷のクラブで出会った尾崎さよこ(フェミニンセクシー系)、読者モデルからフックアップした武田静加(可愛いモテギャル系)、知人から紹介してもらった峯村優衣(レディカジュアル系)を雑誌モデルの主軸に据えたところ、雑誌休刊の危機に瀕していたHappie nutsのV字回復させる原動力になった。
さらには「3+1の法則」に則り、越川真美を途中から新たな雑誌の顔となるモデルとして迎え入れたことで、成長に弾みをつけることができたのだ。
雑誌づくりの主幹を渋谷から原宿の街へ変えたのが功を奏した
こうして、Happie nutsを勢いづかせることに成功したのも束の間、雑誌の出版元だったインフォレストが倒産することに。
それに伴い、森氏が次に進んだ先が女性ティーンエイジャー向け雑誌「Popteen」だった。
同誌の黄金時代を築いたのは、“くみっきー”こと舟山久美子。
ギャルの神様として「17ヶ月連続表紙を飾る」という快挙を成し遂げるなど、人気を独占するレジェンドモデルだった。
しかし、森氏がPopteenの編集長に就任した頃は、その当時の勢いは衰えており、雑誌の実売部数も全盛期の6分の1程度まで落ちていた。
「森くんでダメだったらPopteenは休刊だよ」
上層部にそのようにはっぱをかけられていたそうだ。
Happie nutsを立て直した手腕を持つ森氏は、どのようにPopteenを再起させていったのか。
結果的には、就任から8ヶ月で売上げを回復させることに成功した。その大きな要因が「渋谷の街を中心にした雑誌づくりを、原宿の街に変えた」ことだという。
一体、どういう意味なのか。森氏は次のように説明する。
「原宿の街をフィーチャーするきっかけになったのは、Popteen全盛期の頃に大特集を組むほど活況だった109ファッションのターゲットがギャルではなく、観光客の方も含めた幅広いものに変わっていたことでした。渋谷カルチャーのアイコンとして栄えた109の企画を打ち出しても、雑誌の部数は全然ついてこなかったんです。3号続けて渋谷を中心に打ち出しても鳴かず飛ばずでした。
試しに109へ足を運んでみると買い物袋を持っているのはインバウンドの観光客の方が多く、Popteenの読者層になるような人がいなかった。これは自分にとってもかなり衝撃的で。すぐには編集部には戻れず、何のあてもなく原宿方面へ歩いていったんですよ」
言ってしまえば、半ば途方に暮れた状態で原宿を彷徨っていた森氏は、興味本位で竹下通りを見にいったところ、意外にもPopteenの読者にぴったりな中高生の女性が多く歩いていることに気づく。
「2~3時間くらい、竹下通りのお店や商業施設を見て回ったんですが、まさにPopteenと相性の良い10代の女の子がたくさんいることにびっくりして。この時に『渋谷よりも原宿だ』と思ったんです。そこから、雑誌の街頭調査も原宿に移しました。でも、すぐには編集部員のマインドって変わらないじゃないですか。
なので最初は、原宿のカルチャーやファッションを中心に取り上げることに対し、猛反発を受けたんですよ。それでも、いろいろと説得を重ね、少しずつ理解してもらい、6号目ぐらいから紙面デザインを原宿に寄せていきました」
大物としてのオーラがあった「みちょぱ」、売れたいアピールが突出していた「にこるん」
文字の色を1文字ずつ変えるカラフルポップなデザインは、まるで“おもちゃ箱をひっくり返した”ような世界観を意識し、これまでの雑誌づくりとは一線を画す試みを行ったのだ。
紙面デザインの刷新はもとより、新たにプッシュするモデルも「3+1の法則」に沿って決めたという。
そのときにフューチャーしたのが池田美優(みちょぱ)、藤田ニコル(にこるん)、越智ゆらの(ゆらゆら)の3人で、“ゆらちょぱるん”の愛称でファンの間では親しまれた。
なかでも、森氏は「みちょぱは今までの感覚から絶対に雑誌の看板モデルになると思った。むしろ、みちょぱがPopteenのモデルだったからこそ、編集長を引き受けたくらい。そのくらいオーラを感じさせる存在だった」と語る。
また、藤田ニコルに関しても「何としても“売れたい”という姿勢がものすごく伝わってきた」とエピソードを話してくれた。
「ある日のこと、編集部員と話していたときに、にこるんも編集部に来ていたんですが、ホワイトボードに書かれたスケジュール表にある「表紙撮影の日」を頑なにずっと見つめている姿がとても印象でした。Popteen編集部の伝統として、各スケジュールに起用するモデルの名前を通常は書くんですが、カバーガール(雑誌の表紙を飾るモデル)だけはあえて記載しないようにしているんですよ。でも、にこるんの振る舞いを見ると、明らかに『私を表紙に使ってほしい』というアピールをすごく感じて。これは今でも覚えていることですね」
その後、森氏は一世を風靡した原宿の人気アパレルショップ「BUBBLES(バブルス)」とのコラボ企画の中心に藤田ニコルを起用し、原宿系ファッションのアイコンとして仕立てていく。
その狙いは見事的中し、Popteen×BUBBLESの雑誌企画は大当たり。
さらに同時期、藤田ニコルが地上波のテレビに出演したのもタイミングが重なり、タレントとしての知名度も一気に高まっていったのだ。
「〇〇ならあの子」と称される存在感をまとうのが重要
そんななか、かつては「読者モデル(読モ)」や「雑誌専属モデル」などから芸能スターが生まれていたが、近年ではTikTokerやYouTuber、インスタグラマーなどのSNSから新星が誕生している。
これからの時代、タレントや芸能人として活躍するためには、どのようなきっかけが重要なのだろうか。
森氏は「それぞれの場所で、トップを取ること」が大事だと説明する。
「SNSの世界でも、特定の領域でも良いんですけど『〇〇ならあの子だよね』と言われるくらいの存在感を持てるかが肝になってくると思います。もちろんトップを取れれば文句なしですが、目安としては上位10人以内に入ることが芸能における活躍の場を広げるには必要になってくるでしょう」
その上で重要になってくるのは「次の3つになる」と森氏は続ける。
「まず、『好きなことは何か』を自分でわかっていること。次に、何を世の中に発信したいのかを決め、さらに自分を通じて何を伝えたいのかを明確にすることが求められます。ただし前提として、自分の活動が好きだからこそ、3つの要素が見つけられるわけで。もし、やっていることが好きでなければ、結局は続かなくなってしまうんです。もし今、仮にでも煮詰まっているのなら、積極的に新しい世界へ飛び込み、挑戦していくことも大事なマインドになります」
まだ知られていない「古着」の魅力をZipperで伝えたい
現在、森氏はZipperの編集長として雑誌づくりに勤しんでいる。
原宿系のファッション誌として知られるZipperだが、「古着をメインに扱っていることに興味を持った」と同氏は言う。
「古着って、唯一無二のもので、かけがえのない魅力があると思うんです。社会的に見ても、まだスポットライトが照らされていない古着の良さや奥深さを広めていきたい。ラグジュアリーのリユース製品って、普通の服と比べてかなり長持ちするんですよ。人によってはハイブランドと聞くと『成金の人が身につける』というイメージを持つと思うんですが、知られていない歴史や品の良さを、雑誌を通して伝えていきたいと考えています」
サステナビリティ活動についても、古着ファッションの買取・販売を行う株式会社ベクトルとともに、「長く愛用してきた大切なもの」を販売するギャラリーサイト「PRELOVED(プリラブド)」を立ち上げていく予定だという。
森氏が日頃から愛用するルイ・ヴィトンの財布は祖母から、そしてブルガリの時計は父から譲り受け、今もなお大切に使っているそうだ。
敏腕編集長の考え方や注目するトレンドを伺えた貴重な機会となった。
[取材・文・撮影/古田島大介]
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