高梨沙羅の失格に…「悪夢のような敗戦をした」元五輪メダリストからの伝言
北京五輪で、衝撃的が走った高梨沙羅選手の失格問題。元スピードスケート選手で、1994年リレハンメル五輪にて男子500m銅メダリスト、現在は衆議院議員(4期)の堀井学氏は「冬季五輪の舞台を戦った元アスリートとしても胸が痛みます」と言います。
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いまはまだ、どうすればいいかわからない高梨選手の傷が、いつ癒えるなんて軽々しくはいえないかもしれません。しかし、堀井氏は「同じような経験をした私だからわかることが、ひとつあります」とも。そんな元アスリートだからわかる、高梨沙羅選手たちに伝えたいことを教えてもらいました(以下、堀井氏寄稿)。
失格を“不運”として片づけてはいけない
2月7日のノルディックスキー・ジャンプ混合団体でスーツの規程違反で失格を告げられた高梨沙羅選手。納得がいかない人もたくさんいるでしょう。私もそうです。
彼女の場合、個人戦で使ったスーツを着用して団体戦に出たわけです。個人戦ではスーツの審査に合格していて、それで失格になるなんてまれにみる不運。本来、一度検査を受けたチェック済のスーツなら、大会期間中は何度も検査を受けなくて済むようなルールにしないと、選手は混乱します。
スーツを着用するのは人です。五輪は数週間とはいえ、プレッシャーで食が進まなかったり、トレーニングのランニングで発汗したりすれば、選手によっては体重が変動します。
それによって、体の大きさとスーツの規程の長さに誤差が生じることはあるわけです。故意ではない体重変動さえ、考慮しない規則はどこかおかしいですよね。
「金メダル最有力」だった私が惨敗した理由
ルールや道具に翻弄されるのは非常につらいものです。私はリレハンメル五輪(1994年)で銅メダルを獲得しましたが、“金メダル大本命”と騒がれていた自国開催の1998年長野五輪では、500m13位、1000m17位と惨敗しました。
前年に導入され、高速化を押し進めた「スラップスケート」を着用してのレースに、対応しきれなかったことがひとつの要因です。五輪前年、ワールドカップや世界種目別スケートなどで優勝。私は守りに入ってしまったのです。 “いまのまま滑れば大丈夫、スラップスケートに頼らなくてもいい”と考えてしまいました。変化を恐れたんですね。
これが2~10番手の実力だったら、トップになるため、必死になって新しいスラップスケートを試し、コンマ何秒を縮めるために貪欲に取り入れていたと思います。